癒しの杜

美しい日本を取り戻す 随神の道 子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

神宮125社巡り 第2弾

今回は船参宮の玄関口に海路の守護神を訪ねて と題して、伊勢市駅から大湊・神社(かみやしろ)を目指して5社を参拝いたします

 

伊勢市駅を出たら八間(はちけん)道路を北へ向かいます 1間が1.818メートルで八間だと昔だとかなり幅広い道路です ほぼ直線の道路でメインストリートでありました

向こう側が伊勢市駅方面

そして、あっち側が大湊、神社方面

船江(ふなえ)町のお墓の側の陸橋から撮影しました ここら辺は土地が低くて、ちょっとした雨が降っても道路が冠水してしまいます

ここへ来る前に、江戸時代は問屋街として栄えていた河崎を過ぎて左手の道に入ると、朧ヶ池に面して河原渕神社があります

 

僕らの子供時分は船江上社しか知らなくて、この池で魚やザリガニを取って遊んでいました 今は取ってはいけないそうです

 

 

河原渕神社(かわらぶち)…豊受大神宮摂社 御祭神…澤姫命

子供の頃、この龍神様はなかったような そんなことより、この池で魚釣りをすることに夢中になっていました 昔は神社やお寺が子供たちの遊び場でした 同学年だけでなく近所のおっきい先輩に連れられて遊んでいました 子供時分は一つ年上でも怖くて遊びながら上下関係を学んでいました

 

お稲荷さんの狐の顔が怖かった!

 

ルート23号線を超え御薗町に入ると、ほどなく左手に氏神の御薗神社が見えてきます

ここを右に折れると、宮川下流の田地を守る河原神社があります

河原神社…豊受大神宮摂社 御祭神…川神 田地守護の神で、宮川下流の守り神

毛理神社(もりじんじゃ)…豊受大神宮末社 御祭神…木神

河原神社前の道をまっすぐ進むと、小林(おはやし)の山田奉行所跡近くに出ます

山田奉行所といえば、名奉行として名高い大岡越前守忠相が赴任したことがあります

 

そして、海路の守護神 志宝屋神社(しおやじんじゃ)を目指します

歩くと結構いい運動になります 汗ばんできて、帰る時は軽く脹脛が張ってきました

 

途中で見つけた看板…今は田園風景ですが、江戸時代は船蔵があったみたいです

第二湊橋の上から撮った宮川河口

志宝屋神社…豊受大神宮末社 御祭神…盬土老翁(しおつちのおじ) 塩業、海路の守護神

大湊を後にして、勢田川畔の神社港(かみやしろ)へ向かいます

ここは、三河湾篠島から神饌の干鯛(御幤鯛)が届く港です

御食神社(みけじんじゃ)…豊受大神宮摂社 御祭神…水戸御饗都神(みなとみけつかみ) 倭姫命に御水を奏った老人の霊を御食都神として祭ります

火除けの神として尊ばれている辰の井があり、年の初めの辰の日には火災除けの初水が、地元の人々によって参拝者に授与されます

僕が行った時、地元のおじさんが神社を掃除していました このように地元の心ある人々によって神社が守られているのです

 

日本人は決して無宗教者ではなくて、皆、神様を信じているのです

それは生活に密接に染みついているため、ワザワザ教会等に行ってお祈りをするという事ではなくて日常生活が信仰なのです と僕は思っております

堤防に龍の絵を始め色んな絵が描かれていました

御食神社すぐ側が海です

僕が子供の頃、此処には沢山の船が停泊していました

親戚の叔父も船を持っており、親父とよく船釣りに出かけたものです

 強烈な思い出として、僕が小さかった頃、グリコキャラメルのオマケを親父が先に開けてしまったため僕が機嫌をそこね、駄々をこねこね もう釣りに行かないと 大騒ぎしたそうです 

叔父さんは、ほとほと呆れかえったみたいです

 

僕はそういう子供でした かなり扱いづらい子です

 

これで、大湊・神社めぐりの終点です

 

最後までお読みくださり ありがとうございます

 

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