muuchansan’s blog

美しい日本を取り戻す 明察功過 随神の道 日本の子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

齋藤武夫先生の歴史の授業

今月11月に入り、週末をほとんど電車に乗っており、東京➡名古屋➡大阪➡神奈川➡群馬赤城山麓➡東京 と飛び回っていました。

後でわかるのですが、色々な講演会に参加しているのですが、全てが繋がっていくのです。

 

先ず、皮切りは『新しい歴史教科書をつくる会』の齋藤武夫先生の講義です。

東京神楽坂です。

齋藤先生は、元小中学校の教師であられて日本の正しい歴史を子供たちに教える為に、自ら教師の為の指導教科書をつくり、実践されています。

今の歴史教科は社会科の中の一部ですが、戦前までは國史授業だったのです。

先生のキーワードは『歴史は我が事、自己肯定感、そして自分の番が回って来る』

齋藤先生の授業は、歴史の転換期にその当時の指導者は何を考えていたか!君たちが当時の指導者の立場になって考えてみよう という授業なのです。決して歴史は暗記科目ではないのです。

IFを考えるのが歴史授業なのです。

では、その一例を紹介します。

 

これが、発問です。この質問をして自分の考えを書かせて、先ずはAかBか手を挙げさせて討論に入ります。どちらが正解というクイズ形式ではないのです。

自分の意見を述べあうことが大切なのです。そうすると、子供たちの目つきが変わるそうです。当時の東条英機首相の苦悩が分かるのです。

僕も学生時代こんな授業を受けたかったです。残念で仕方がありません。

更に、

このスライドを見せると子供たちは感動します。

日本人として生まれてきて良かったと思うのです。アイデンティティーと自己肯定感が培えるのです。

この講義を聞いて涙が出そうになりました。心打つお話でした。

 

そして、その齋藤先生の講演を聞いた現役の若い教師の公開授業を見に行ってきました。

それが愛知教育大学附属名古屋小学校教諭鈴木光城先生の社会科授業です。6年2組です。

そぼ降る雨の中到着です。

愈々、授業が始まりました。発問です。

当時の新聞の紹介です。

 

板書だけでなく、パワーポイントのスライドも使います。

 

齋藤先生も見に来ています。

 

当時の東条英機首相の立場になって考えてみよう!

A案アメリカとの話を続ける賛成の意見:日本の国力を考えると戦争をしても勝てる相手ではない。

B案すぐにアメリカ戦争をする準備をする賛成の意見:話をしているうちに石油がなくなってしまう。こんな時にソ連満州に攻め込んできたら戦う事ができない。

等々、さまざまな意見が出て活発な討論がされています。

大人顔負けの考えを持っているのです。

 

データを子供たち見せます。

当時の日本國民、政府の関係性を示しています。

 

 

一般の教科書は使わずに先生の手作りのプリントで授業を進めます。

最後にC案もあったことを出します。

まとめ 感想

先ずは、時代は進んでいるという事を実感しました。僕らの時代は先生が板書したことを一所懸命ノートに書き写す作業ばかりしていました。

この授業ではそんなことはしないのです。自分の意見をまとめ、発表するのが勉強する場なのです。

授業で書いたことは後で先生がプリントにして渡すからです。

皆の前で自分の意見を言うことが大切なのです。

この子たちが何も特別ではなくて普通の子供達です。やればできるのです。

みんなイキイキと目が輝いていました。

また、指導する先生も素晴らしいです。こういう若い教師がどんどん増えていけば、日本は確実に変わるのです。

なぜなら、後10年15年すれば子供は大人になり、選挙権、被選挙権を持ちその子らが将来の日本を変えてくれるのです。

久々に清々しい気分になって、大阪に向かいます。

 

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稲刈り体験&酒蔵見学

イシキカイカク大学で部活動というのがあって、各支部活動というものがあります。

その中の関西支部の勉強会の一貫として、先月、日本の食の根本である米の生産と加工製品である酒蔵の見学授業の報告です。

 

農業は國の根幹産業です。国民の食を守る事は、安全保障でもあるのです。

ということで、稲刈り体験をして来ました。

場所は兵庫県三木市です。

lino-works.net

 

主催はここ。のらのらの楽校。

里山の風景と稲刈りの様子をお楽しみください。

古民家です。

 

 日本の原風景がここにあります。あの唱歌「ふるさと」の歌詞そのものの景色です。

自然との共生とは、まさにこのことを言うのでしょう。

この風景は、子や孫たちの為に絶対残さなければ。。。と決意を新たにしました。

 

野良仕事は、初めての体験でイメージしていたこととのギャップがあって、思っている以上にキツカッタデス。歳には勝てないです。(ToT)/~~~

手作業で鎌を使って刈っているうちに、縄文人もこんな風に皆が協力し合って仕事をしていたんだ!とふと脳裏をかすめました。

これは、カヤネズミの巣だそうです。大変珍しいそうです。

 

充実感と心地良い肉体の疲れで、熟睡できました。(-_-)zzz

皆様、お疲れ様でした。

次の日は、滋賀県にある酒蔵岡村本家の金亀酒蔵開きを見学してきました。

 kin-kame.co.jp

 

日本酒が美味しい所は言うまでもなく、お米と水が美味しい所です。

ここでは、鈴鹿山脈の伏流水を使ってお米を洗っています。

工程の概略を説明すると、甑(こしき)と呼ばれるものに入れて蒸しあげる➡48時間以上かけて米から麹をつくる➡仕込み 一気に残りの米をいれると発酵が止まるので数回に分けて仕込みます。岡村本家では4回に分けて仕込みます。(4段仕込み)先代の蔵人さん達は、「酒造りの唄」を歌い、時間と櫂を入れる一定した動作などのタイミングを図りながら仕込みをされておりました。(風情があっていいですねぇ~)➡手作りで行う昔ながらの木艚袋搾り(きぶねふくろしぼり)これがこの酒蔵のこだわりで、お酒に優しく搾り過ぎない為残りの酒粕も美味しいそうです。

手間暇かけて、ゆっくりと作り上げていく...

 

今の会社は効率、稼働率、コストパフォーマンスなどを追及して株主(グローバリスト)に利益を還元することばかり考えています。本物の美味しさ、品質を追求するには、今のやり方の真逆をやらないといけないようです。それが、本来の日本の会社の姿あるような気がします。

利益のみを追及する会社は長く続かないです。だから真逆の経営をしている日本の会社は創業何百年も続いている会社が沢山あるのです。

 

本物の会社を残すために消費者の意識改革も重要で、安けりゃなんでも良いという考え方を変えていかないと、日本型経営の会社は生き残れないです。

 

朝からお酒を沢山試飲して、酔っ払いです。それにしても旨かった!(^_-)-☆

 

おまけ。

時間が余ったので、ちょっと足を伸ばして国宝彦根城を見てきました。

 

 

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陸上自衛隊明野駐屯地航空祭 レポート

今、全国各地で自衛隊の祭りが開催されていますが、僕の住んでいる隣町小俣町明野駐屯地でも開設63周年、航空学校創立66周年で例年の航空祭が催されました。

www.mod.go.jp

生憎の雨にもかかわらず、8時開門で僕は7時半に現地についたのですが、もう長蛇の行列が出来ていました。

雨が降っていたので、寒くて待っている時間が長く感じられました。

 

で、やっと門に辿り着きました。

 

雨が降っているので倉庫からヘリコプターのデモストレーションを見ようと待っている人々です。用意の良い人はブルーシート、折りたたみ椅子を持参して待っています。

ところで、これ何の為の模型だと思いますか?

機体に取り付けるアンテナの感度(アンテナパターン)を測るため十分の一のスケールの模型を造りそれで屋内外の場所に取り付けて測定します。

 

 発射機。牽引車から外すところです。

プログラムの一部です。

10時よりオープニングセレモニーが始まりました。ひげの隊長こと佐藤正久参議院議員が祝辞挨拶を述べられました。

 

 


20181104akeno koukuusai

必見のヘリコプターのアトラクションです。

 

 カッコいいヘリの写真です。

 歴史のお勉強です。

歴代の学校長の写真、制服、徽章、備品、特攻に行くことが決まり両親へのお手紙などが展示されています。

お手紙は達筆な字で書かれており、胸迫る思いが伝わってきてうるっときてしまいました。

 

 校門を入るとすぐの所にあります。航空学校のシンボルです。

 

一日たっぷりと楽しむことが出来ました。

伊勢神宮の近くにあり、有事の際は天照大御神を守るミッションもあるかと思います。

本物のヘリコプターや弾丸の迫力に圧倒されるところもありましたが、実際見ることにより、改めて国防の大切を痛感しました。

また、隊員たちのきびきびした動作、丁寧で謙虚な言葉使いに清々しさを感じ、彼ら彼女達のモチベーションを上げるためにも待遇の改善を望みます。

一つ気づいたことがあって、雨合羽を着て、デジカメ、スマホを手に持ち、飲み物をレジ袋に入れぶら下げて、傘をリュックサックに挟んでいる容姿は当にオタクでした。

(^_-)-☆

 

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星田妙見宮 参拝

星田妙見宮の御祭神

本座…天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、高皇産霊大神(たかみむすび

   のおおかみ)、神皇産霊大神(かみむすびのおおかみ)

仏教にては北辰妙見大菩薩

道教陰陽道にては太上神仙鎮宅霊符神 

住所…大阪府交野市星田9-60-1

www.hoshida-myoken.com

僕が星田妙見宮を知ったのは、イシキカイカク大学の部活動のなかで神社・お寺・スピリチュアル部というのがあって、そのメンバーのK君が大阪枚方市の近くで昔、隕石が落ちた所に神社があると聞いたのが最初でした。

 

それから、偶然か必然か分からないけど、雑誌『玉響8月号』を読んでいると中矢代表と長典男先生の対談記事が掲載されており、星田妙見宮の事が話題になっていました。

玉響から長先生のお話を一部引用します。

西暦536年に彗星が大阪のけいはんな学研都市付近に落ちたんです。

その場所には現在「星田妙見宮」という神社が建っていてその側と言えるかは微妙ですが、枚方という場所にその当時の都がありました。

その都が彗星の影響で、すべて吹き飛んでしまったそうです。

現在、そのあたりは大阪府の手で発掘調査が進められています。

その遺跡を発掘している方々の思いとしては、年代で言うとちょうど大化の改新の頃でしたので、もしかしたら奈良ではなくて、大阪で大化の改新をやったのではないかというものでした。

そこはもともと出雲系の都だったのですが、そこに彗星が落ちてすべて吹き飛んでしまった。今で言えば、東京に彗星が落ちてすべての政府機関が吹き飛んでしまったような状態であったように思われます。...

この記事が歴史好きの僕の興味を非常にそそり、これは行ってみなくていけない所だと機会を伺っていました。

で、丁度10月に倭塾関西が開催されるので、当日倭塾開催の前に行っておこうと出かけました。

JR大阪環状線京橋で乗り換え学研都市線 星田駅で降り、徒歩36分、てくてくと辺りの風景を見ながら妙見神社まで歩きました。

良い雰囲気を出しております。

鳥居をくぐると阿吽の像があり、サッと空気が変わるのを感じました。

歩いてきたのでうっすら汗ばんでいたのですが、すーっと涼しい風が通り汗が引いていきました。

こころの中で「いいね」を押しました。

 

人々の運命は、各自の生まれた時の星座によっても、また日々の星座の運行によっても影響されますが、その運命の星は北の空の中心に位置する北辰星に統率されるので、北辰星は人々の運命の司配神として信仰されました。

北辰に当たる星は、その時代によって少しづつ異なってまいります。

この北辰を妙見菩薩という御名によって信仰するのが妙見信仰であります。

星辰信仰は紀元前三千年頃の古代バビロニアに始まり、その後、バラモン教ヒンズー教を経て大乗仏教に入り、三~四世紀の魏、晋の時代に仏教としての妙見信仰が確立します。

朝鮮半島に伝わった妙見信仰は、韓民族の北斗七星信仰と習合し、推古五年(597年)に百済琳聖太子阿佐によって、聖徳太子に伝えられました。聖徳太子は妙見様を朝廷の守護神として都の四方に祀られました。

平安時代中期からは、武士団の氏神的信仰として、室町時代からは一般大衆の守り神として広く人々に信仰を集め、妙見宮として全国各地に祀られました。

仏教としてお祀りされているにもかかわらず、神社形態でお祀りされている所も多くありました。それで明治維新神仏分離令により多くの妙見宮が廃止されました。

しかし、当妙見宮は小松神社と称し、天之御名主大神として今日までその信仰が神仏混淆として連綿として受け継がれてきました。(由緒書より抜粋)

七曜の星とは、北斗七星の事であります。

 漫画の説明もありました。

妙見宮の大岩は織女石と地元では呼ばれ、七夕伝説縁の地です。

こうしてみると、人は日頃はあまり感じませんが、宇宙のエネルギー、力を日々受けて生きているのが良く分かります。

愈々という感じです。

 

七夕伝説、天の川銀河をイメージしているのでしょうか。

 おおっ、なんと急な階段!少しメゲソウになります。後ひと踏ん張りです。

 登り切りました。街が一望できます。

お詣りを済まし、今度は下りです。

社務所御朱印を頂きました。

宮司さんに隕石が落ちた場所の事を聞いたところ、近くにあり、もう台風による通行止めも解除されたので行ってみることにしました。

 

落ちた隕石というのが、北斗七星と同じ方向から来たペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タットル彗星からの隕石であった と書いてあります。

彗星が日本の都の近くに落ちたなんて、凄い奇跡で、偶然で、一瞬にして都が吹き飛んでしまった事を想像すると恐ろしくもあります。

 

この事件をきっかけに、古代日本は大きく変わっていったのだと思います。

神社っていいですねぇ~ おしまい。

 

 

告知です。イシキカイカク大学第三期のチラシ出来ました。

ご興味のある方、ご覧ください。

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第三回 倭塾関西 レポート 後半

前半はイギリスで産業革命が起こり列強の植民地支配が始まったという所で、終わりました。

機械化が進み、大量生産ができると自国では商品が消費しきれず、その売り先を海外に見つけなければいけません。

その市場を求めてアジアの進出が始まったのです。

イギリスの東インド会社を例にとって話します。

イギリスが目をつけたのは元帝国の末裔のムガール帝国のインドです。

インドは良質の綿が取れ手工業の綿製品がありました。でも、イギリス製品を買わせる為に、武力でインドの綿織物を壊滅させました。➡セポイの乱 この戦いに勝利したイギリスはインドを支配するようになったのです。

当時イギリスと清国の間では茶をイギリスは輸入していまして貿易赤字でした。当時の国際通貨で対価である銀がイギリスから清国に大量に流出しました。直接イギリスから清に銀が出ていったわけではなく、為替手形が国際貿易に使われていたため、中継地のインドから清国に銀が流出したのです。

銀が大量に流出するのは かなわん と考えたイギリスがとった政策がアヘンを清国に密貿易することでした。

インド産の綿製品は作られなくなったため、その土地で阿片を作るようになったのです。

そうしたところ、インド産の阿片は質が良いものが取れたのです。

当時の阿片は滋養強壮、医薬品的な感じで使用されていました。

そして、その売り先を清国に求めたのです。

インド産のアヘンは質が良いものですから、よく効くのです。

だから、爆発的に阿片が清国で広まりました。

で、そんなに良く売れるなら自国でも作ろうよ とChinaのお得意のパクリで作ったのですが、質が悪くて、全然売れなかったそうです。このことは、今も昔もChinaのやることは変わらない‼(大爆笑)

このようにして、イギリスは銀の流出を抑える事が出来ました。これが学校の歴史の授業で習った「三角貿易」です。

この状況で、清国は阿片の密輸の取締りを強化し、そしてアヘン戦争に繋がっていきます。

当時の清国のイメージは上図のスライドのように、大帝国の刷り込みがありますが、実際は下図の有様でした。

因みに、タイ、ベトナムインドネシア辺りをインドシナ半島と呼びますが、丁度インドとChinaの間にある半島だからインドシナだったのです。(会場から なるほど

腑に落ちました。という感じになりました。)

 

 植民地と宗主国との関係。

例えば、フランス領インドシナの場所でイギリス人が殺されるという事件が発生したとしましょう。刑事上は犯人を捕まえて罰を与えれば解決しますが、民事上被害者の賠償はどうするかという事なるとそれは、その國を統治する王様に求めるのです。

ところが、当時の王様は「そんなもん、俺がやったのじゃないから知らんが~」という訳です。全くの無責任で、責任を取ろうとしません。それは、国家というべきものではないので、国どうしの付き合いができません。だから、それなら替わって宗主国であるフランス政府が賠償しましょうという事になります。

植民地と宗主国の関係はこういう一面もあるわけで、国際関係を成り立させる為には、自主独立が必要になってくるのです。

 日本は開闢以来、他国の植民地になったことはありません。途中足利義満が明国から日王という称号を貰い混乱した時期もありましたが、万世一系天皇陛下の下世界一長い歴史を持つ國なのです。

国際秩序体制の変遷の図。今は国連秩序体制。

国連はUnited Nationsつまり第二次世界大戦の連合国の事です。

この国連の理念のもとになったのが、ルーズベルトの世界三大秩序構想です。

 1.上層国が安全保障理事国(安保理)五大国と言われるもので(米国、イギリス、フランス、ロシア、中華人民共和国)五大国のみが軍隊を持ち、国連軍として勝手に武力行使できます。

2.中層国…平和愛好国(中小の国々)

三番目の敵国、侵略国と位置づけされているのが、日本、ドイツなどであります。

上層国、中層国の下に位です。

だから、慰安婦問題も、拉致事件問題もこの敵国という位置づけとなっているから日本は他国から攻めらるのです。

でも、Chinaがちょっかいは出すけど、武力行使ができないのは、田中角栄元首相が締結した日中友好条約があるからです。国際条約では後から締結された条約の方を優先します。

最近、Koreaの文ちゃんが北のヘルメット頭の若造に擦り寄っているのは、日韓基本条約があり、日韓合意で10億円貰っているので、国際的に言える立場ではなくなったので、北の坊ちゃんと一緒に強請、集りしませんか!と持ち掛けているという事。(なるほど納得。)

そして、元国連事務総長 潘なんちゃらという人は、人事問題を引き起こし、過去最低の事務総長と言われました。

で、話は国連秩序体制の次をどうするか!ということです。国連の経費の三分の一は日米が出しているのです。アメリカは支払っていませんが…日米で新しい秩序体制を造ろうとしています。日本の役割は大変大きいです。

ざーっと大航海時代から現在の状況までを見てきましたが、大きな歴史の流れの中では、表面だけを見るのではなくてその裏側に流れていることをちゃんと把握しておかないと見誤ります。

これからの日本を考える時に、今の状態だけを見ているのではなくて、経緯、継体、流れを見て、そこから未来を考えていかねばいけません。

歴史にIFは、禁物だと慣用句のように言われていますが、IFを考えるのが歴史の授業です。例えば、信長が延暦寺比叡山を焼き討ちします。貴方が信長だったら、どのようにしますか?を考えるの歴史の授業です。これを実践していて、現場の教師たちに授業のやり方を講演しているのが、齋藤武夫先生です。

こういう質問を生徒たちして、お互いの意見を言い合うのが歴史の授業です。生徒たちの目つきが変わっていくそうです。

海外のハイスクールでは当たり前のように行われ、ヨーロッパでは18世紀から始まったと言われています。

しかし、日本の古事記には、序文の所に『歴史は国家の典教である』と書かれています。古事記が編纂されたのは8世紀です。ヨーロッパ各国よりも1,000年も前から日本では歴史について学んでいたのです。

逆に、このような歴史授業をしていないのは、現在の日本です。(情けない(T_T)/~~~)

古事記の書かれた経緯は、白村江の戦いで日本の兵隊が5万人も亡くなったことがきっかけです。当時の5万人というと現在の人口比率でいうと、300万人もの若い男子が死んだという事です。

これは、国家存亡の危機なのです。

白村江の戦いは、唐、新羅の連合軍が百済を滅ぼそうと攻めてきたので、日本から援軍を半島に送りました。日本は唐、新羅連合軍の大軍に対して少人数で熱戦をしていましたが、ちょっと劣勢になると百済の連中が「アイゴー」と言って逃げていったそうです。これが、敗因です。ホントに昔も今も半島人は変わりません。(爆笑ヽ(^o^)丿)

そして、この国家存亡の危機に対応するため、天武天皇が詔(681年)を出され、古事記編纂が始まったのです。

それから、30年経った711年に古事記は完成したのです。30年もかけて書かれた書物です、その内容は凄く奥深いのであります。

世界中の民族が持つ神話は、磨製石器登場の時代に作られたとされています。

神話を作る目的は、一族が統一された目的をもって社会を維持する体制が必要だったからです。

猿と原人の違いは、その集団の頭数の差で、猿は50から60頭でぐらいで、原人は150人ぐらいの集団で行動していました。120人以上になるとコミュニケーションが必要となり、言語が発生するらしいです。

日本で磨製石器が作られたのは、3万年前だと言われています。

世界最古です。それから、長野県の遺跡から発掘された磨製石器は、伊豆の神津島から運ばれた石材とされていて、このことは当時から日本人は航海術に長けていて海洋を自在に往来していたことがわかります。

上図は、晩氷河期以降の気候変動と文明の盛衰の図です。

長い長い歳月の間には、色んな事がありますが、気候変動も大きく文明に関わってきます。1℃高いと、鹿児島と仙台の気候がひっくり返ります。

2℃高いと樺太と鹿児島がひっくり返ります。つまり、鹿児島は熱帯雨林の気候になってしまうのです。

8℃下がると海面が下がり、日本列島は大陸と繋がってしまいます。

 上図のように日本列島は災害が多い國です。だから、日本人は皆が安全で安心して暮らすにはどうしたら良いかとずーっと考えてきました。

 古代からその対策を試行錯誤してきた中の一人が、大国主だったのです。(やっと登場です。)

古事記は上つ巻、中つ巻、下つ巻の三巻からなり、大国主神話は上つ巻の三分の一の文字数を割いて書かれています。ものすごく大体的な取り扱いです。

だから、その内容は奥深いのですが、時間が足りなくって来ました。6分で大国主神話を話します。

大国主神話の構成は上図の通りです。

有名な因幡の白兎の話ですが、(ここから大国主神話が始まります。)古事記ではウサギと書かれていません。

菟(ねなしかずら)と書かれています。

ねなしかずらとは、農民と違って土地に根差して生活していない、根無し草のことを言います。

連雀町という問屋街があって行李を背負った行商人がぴょんぴょんと跳ねるように歩いていた様子が雀の様であったことから、連雀町と呼ばれたのですが、この様子をウサギに見立てる事も出来る事から兎と読ましたのかもしれません。

 

古事記が書かれた当時は日本は、亜熱帯気候だったので、実際に鰐がいたのです。

また、アウトトリガー付き帆を張った船の事をwanuiと言うそうです。

当時から自由に往来していた日本人ですから、あり得る話です。

だから、現代の日本で言うと菟が行商人という事は、陸上運輸のヤマト運輸で、鰐が海上運輸日本郵船で、ヤマト運輸日本郵船を騙したという話なのかもしれません。

その後、大国主が名前が変わっていく過程で色んな経験をし、須佐之男命の薫陶を受けて、大国主は出雲の土地を巨大物流経済大国としました。また、八千矛神とあるように軍事大国でもあったのです。

商売というのは、安く仕入れて高く売れば、その差益が儲けになります。

なので、出来るだけ安く買いたたいて仕入れるように商売人は考えるのです。

だから、一次産業を生業としている人々、物づくりをしている人たちは買いたたかれるので、いつも貧乏な状態でいます。

 

これを高天原から見ていた天照大御神は見咎め、使いを遣わし「汝の宇志波祁流 この葦原の中つ国は 我が御子の知らす國と仰せである 汝の心いかに。」と國譲りを迫りました。

物をつくり、技術を身につける事の大切さを知り、末端の人々が安心で安全な暮らせることが國づくりでは大事なことであることに気づいた大国主命は、「俺のやってきたことは間違っていた!」と言って、國を譲る決心をします。

 これが天孫降臨です。

そこで、大国主命は国を譲る代わり、立派な宮殿を立ててくださいとお願いして、出雲大社を立ててもらいました。このような柱の遺跡が発掘されたそうです。

薀蓄ですが、雲太、和二、京三というのは立派な建築物のことで、雲太は出雲大社のこと、和二は東大寺の大仏殿、京三は京都御所のことです。

大仏殿や京都御所よりも出雲大社は立派であったことを言い表した言葉です。

 

 愈々、まとめに入ります。

日本は世界の縮図と言われていて、出雲地方はユーラシア大陸に相当します。

20世紀に始まりここ20年~30年は、ヨーロッパ人が世界中の富を集め、世界を支配してきました。

でも、大国主神話の言わんとすることは、天照大御神をはじめ神々は、人が生きていくためにはもっと大切なことがあるのではないでしょうか?

商業社会ではなくて、もう一度元々の日本にたち戻って、日本書紀に書かれているように『豈國無歟』が日本人が目指す國づくりではないでしょうか。と問いかけているようです。

ブルーカラーの時代の男たちは子供が5人、6人いて、じっちゃん、ばっちゃんの面倒を看ても女房を働かせることは男の恥だと思って、一所懸命働いていました。

それに比べて、今の日本はどうでしょうか。社会人として働いているサラリーマンが副業として飲み屋のアルバイト二つ三つと掛け持ちしないと、暮らしていけない社会なのです。どんどん日本人は貧乏になっていっているのです。

「古きを尋ねて新しきを知る」の諺にもあるように、今、日本人自身が元々ある日本の姿を知ることによって、今の状態を打開していくことが出来ると思っております。

 

他人、他国の悪口を言っても、日本が良くなることはありません。

日本を未来を考えるのは私たち自身で、今真剣に考える時が来ているのではないでしょうか‼

 

ご清聴ありがとうございました。

 

長文になってしまいました。最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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第三回 倭塾関西 レポート 前半

日時:平成30年10月19日(金) 19:00~21:00

場所:吹田市千里山コミュニティセンター

テーマ:大航海時代大国主

 

阪急千里山駅を降りたら、すぐ見えます。

当日は、阪急電車が人身事故で電車がストップ。急遽、JR環状線天満駅(宿泊ホテルが天満駅の近くでした)に戻り、JR吹田駅まで行きました。

JR吹田駅から会場まで歩いていくと40分かかるという事で、断念。この日は昼間、星田妙見宮に行きまして、けっこう山の上まで歩いたのでちょっと足に来ていました。齢を感じましたー(´;ω;`) 若者は歩いてきたそうです。(若さを取り戻したい~(笑))

なので、タクシーを使いました。(タクシーも出払っていてなかなか来ない‼ ハラハラドキドキ (ToT)/~~~)やっとのことできたタクシーに乗り込み、開始時間に間に合いました。でも、会場に行くと電車ストップの影響で参加者がまばらでした。

この日は、東海道新幹線も人身事故(嫌な感じがしました (/o\))で遅れが出ており、会場に来れない人がいました。残念でした。

開始前の風景です。人が少ないですが、その後、遅れてどんどん人が到着し、結局50人ほどの参加者になりました。満席に近いです。ホッとしました。

定刻になり、神谷さんのMCで始まりです。神谷さんは先日、アメリシリコンバレーからロスを回ってきたそうです。その報告をして頂きました。アメリカは着実に物価が上昇していてちょっとしたランチでも、¥2,000はかかるそうです。アメリカは世界中の富と人材を集めて資産を増やしていく仕組みがあります。だから、日本と比べと2~3倍に資産が増えていきます。逆に日本は資産を減らしています。資金をためると不動産投資に回します。確実に増えるそうです。

また、優秀な人材を集める仕組みもあるので世界中の頭脳が集まっていると言っても良いので、切磋琢磨しています。彼らは起業して会社を作ってそれを売って資金を作り、2、3年勉強してまた別の会社をつくり、資産を増やしていくやり方です。

東大にやって来る外国人は中くらいの人らしいです。ハーバード大学などに入れなかった外国人が日本にやってくる感じです。それくらい、日米で差があるのです。

因みに、アメリカ人の体型を見ればお金を持っているか持っていないかが見た目で分かるそうです。なぜなら、お金を持っている人は、良い食材を使った体にいい食事をしているので、ブクブクに太らないです。貧乏な人ほど肥満体型です。当たり前の話で、人は食べるもので身体は作られいるからです。

で、結局のところ、神谷さんが仰っていたのはお金がある事が幸福に繋がるわけではありませんが、経済が弱い事は国力が弱い事でもあるので、これを何とか打開していく方法を考え中だという事です。

前置きが長くなりましたが、愈々ねず先生のお話の始まりです。

まずは、時事、社会問題のお話からです。

財産を増やすにはどうしたら良いか?

コツコツと金利がついてくる商品を買う事です。

バブルの頃の日本は、例えば、フェラーリなどの高級車を会社の経費で購入して、減価償却が終われば、簿価ゼロで社長が譲り受け、それを売る。2,000万円で購入した車が2500万円、3000万円になる。ぼろ儲けです。

それは、絵画、土地でも同じようなことが言えました。年々資産価値が上がっていったのです。でも、今の日本は人口が減少していくので、地価が上昇するという仕組みが成り立たなくなっています。

ねず先生は以前は金融のお仕事をされていたそうです。だから、詳しいのです。

 

明治時代以前の庶民は、肉体労働、体を動かし技術を身につけてお金を稼いでいました。そして、明治から昭和、大東亜戦争以後は特にブルーカラーの時代で工場労働者となって稼ぎ、高度成長時代からホワイトカラー、サラリーマンの時代に移り、今はサービスの時代にあります。大量生産大量消費の時代ではなく多品種少量生産で価値の多様性が求められています。

そして、これから未来は、聞きなれない言葉ですが、「シンギュラリティ」の時代と言われます。AIが発達し、知的生産分野がコンピュータにとって代わり、人が事務仕事をする必要がなくなります。

そうなると人は何をすればよいか?人でなければ出来ない事、芸術活動か、全く新しい概念の物、サービスを考える事。そして、また肉体労働に戻っていくのであります。

最初のスライドの挿絵に何故ブラックジャックを持ってきたか?

この手塚治虫の言葉を言いたかった訳です。

「過去はすでに起きた未来 未来はこれから起こる過去」

時代はぐるぐる回っていますよ!未来を考えるなら、過去をちゃんと把握すること、理解することが大切ですよという事であります。

 

で、現在繁栄しているアメリカのビジネスモデルの形の元になるのが、今日のテーマ「大航海時代」から始まります。

 

大航海時代を制するにはこの絵のように、巨大な船が必要となります。

これだけの船を造ろうと思うと沢山のお金と技術が必要となります。

なので、時代はモンゴル帝国の時代まで遡ります。

このスライドのように元、モンゴル帝国はアジア全域と東ヨーロッパまで覇権を広げようとしていました。

所が、皇帝オコディが突然死んでしまいました。(飲み過ぎが原因だと言われています。)なので、ヨーロッパで闘っているどころではなくて、急遽アジアChinaまでもどってきたので、ヨーロッパは征服されなかったのです。

もし、オコディの死が後半年遅れていたら、ヨーロッパ全土は現に征服されていたと言われています。

余談ですが、ねず先生はジンギスカン義経伝説を信じているので、面白い話が聞けそうですが、今回は時間がないので、また機会があればという事でした。

因みにこの時代インドはムガール帝国が治めていましたが、ムガールという言葉は、発音が違うだけでモンゴルと同じことです。モンゴル帝国の正統な後継者であるのです。

ところで、何故モンゴル帝国が衰退していったかというと、それは、相続の仕方に問題があったのです。

元の帝国は均等配分方式で、五人の子供がいれば、国力に合わせて均等に征服した土地を分割していくのです。

それが、孫、ひ孫と移っていくにしたがって当然一人当たりの国土は、小さくなっていくのです。分割、分割で統治する領域が小さくなっていくだけで、モンゴル帝国はしぶとく残っているのです。

当時の國は、今のように国境が明確に区切らてれいるわけではなくて、城塞都市の数によって国を統治していたようです。

だから、子供が5人いれば、城塞都市も等分に分けられていくのです。

話をもとに戻して、モンゴル帝国にみたいに広大な地域を持つとモノ、サービスの決済方法が大変で、いちいちその土地まで出かけて決済するのはめんどくさいし、交通費もかかるので、それで発生したのが金融為替業です。これだけ広域な土地だとその地域ごとの貨幣の価値も違うので、為替というのが必要となります。この為替というのがぼろ儲けの稼業で決済ごとに手数料を取れば、莫大な利益が得られるのです。

この家業を真似をして儲けて巨万の富を得たのが、ヨーロッパの○○家の祖先です。

 

 そうすると、分割によってモンゴル帝国の国力は衰退し、15世紀になるとそれに代わって地中海の貿易圏を制したのがオスマン朝トルコ帝国です。

そうすると、ヨーロッパ各国は貿易による利益が得られなくなりますが、ちょうど心太を押し出すように良い地形的位置にいたのがスペイン、ポルトガルなのです。

それで、地中海の利益を得られないので、広大な海、大西洋に乗り出すしかなかったです。(この理屈で「おおっ」と会場から納得の声があがりました。)

そして、海に乗り出すには当然に船が必要となりますが、その資金を出したのが為替金融業で儲けた資産家たちなのです。資産家は金は出すけど、自ら船に乗ることはなくて、船長を雇いその船長が乗組員を雇い、アフリカ、アジアの地域の出かけて、その土地の資源を奪ってきて、船主と儲けを折半したのです。

映画のタイタニックでも船長と一緒に船主の代理人の貴族が食事をするシーンがあります。

航海は大変なリスクがありますが、無事帰ってくれば巨万の富を手にすることが出来るのです。

それで、次に考えたのは、財宝を奪って帰ってくるのはリスクがあるので、であるならばその土地丸ごと支配してしまえという事で、植民地(コロニー)が生まれたのです。

そうなると飛び切りの富裕層が生まれ、王様より金持ちになり、お金を貸し出すようになります。富裕層が生まれると逆に貧困層も生まれ貧富の差が生じます。

そうすると、貧乏人はお金持ちを襲うようになります。元々お金持ちは他所の土地の資源を奪って得た資産ではないかという考えです。

で、民間のお金持ちが考えたのが自分たちが襲われるは嫌なので、その貧乏人たちの不満の目標を王様に向けるように世論の導いたのです。それが市民革命です。(代表的なのがフランス革命

さらに、お金が出来ると、技術の方に投資して産業革命がイギリスで起こります。

 そして、愈々列強の世界植民地支配が始まるのです。

後半に続く。

 

 

第55回 倭塾 レポート

2018年10月8日月曜日 13:30〜16:30

場所:タワーホール船堀

会場がタワーホール船堀に代わっての最初の東京の倭塾開催です。

都営新宿線船堀駅を降りてすぐにタワーが見えます。研修室は広くてゆったりした感じです。

さて、今回のテーマは「秩序と差別を考える」です。

 

 秩序の意味は、画面のとおりですが、ねず先生お得意の漢字の成立ちから意味を紐解いていきます。

先ず「秩」の訓読みですが、ふみ、つち、さちと読みます。

のぎへん でありますから、稲穂に関することつまりお米です。右側の文字はチョンを上に持っていくと手という漢字なり、右下の払いは手からこぼれたものを意味します。

昔はお米で税を納めており、升からこぼれたお米はお上に献上するわけにいかないので百姓のものになります。で 儲かった、儲かったという事で「さち(幸)」という訓読みが生まれたのです。いかにも日本人らしい大らかな発想です。

次に「序」ですが、まだれの中のヨみたいな形は機織りの際に用いる「杼(ひ)」を表していて杼は横糸を通す道具です。意味は順序良く真っすぐに通す です。

纏めますと、「秩序」はこぼれないようにきちんと積み上げるとなり、これから整理整頓すると意味となります。

これが、外国に行くと全然違った意味になります。お隣の半島、大陸国家は秩序はあくまでも、上下関係しかないのです。どっちが上か下か、二元論の考え方です。

上に立った者は、下の者に対して権力を握り、生殺与奪権まで握るのです。そして、最高権力者になると、もう上には支配する者がいないので無責任者になります。

日本の会社でも組織としての役職の上下関係はあります。でもそれは、あくまでも仕事上の上下関係であって、人間関係の上下関係はありません。ふつう日本の会社では、上司は部下に対して責任がありますから、部下を庇います。ある仕事に対して部下が失敗したら、上司が責任を取り、上手くいったら部下の成果とします。

また近頃、差別は良くない、皆平等でなければいけない!と言われていますが、本当にそうでしょうか?

平等と対等とは違います。ねず先生が分かりやすい説明をなされています。

あいつの方が勉強ができるし、頭も良いけれど、おらっちは、かけっこでは誰にも負けねぇ~ というのが、対等の考え方です。

平等は、運動会のかけっこで、皆、手を繋いで一緒にゴールするということなのだそうです。異様な光景です。これっておかしいと思いません?

日本人が持っているのは対等の意識です。アニメ「ワンピース」がうけるのも分かる気がします。近年日本アニメがうけているのは、世界中の人々がそう思い始めているからです。

華夷秩序体制は2000年続きましたが、半島国家はずーっと属国で銅印(泥印)しか貰えず、これはChinaから見れば、村長クラスの國であったという事です。

「三跪九叩頭拝」とは、歴代のChina皇帝の使いを迎える時の作法のことで、地面にひざまずき一回に三回頭を地面に打ちつけてお迎えする儀式で、それを三回繰り返すから合計九回地面に頭を打ちつける、屈辱的な行為であります。

この「三跪九叩頭拝」の作法で面白い逸話があって、明治時代に李氏朝鮮王が、使節として特使をアメリカ大統領に送ったところ、大統領府で突然、この「三跪九叩頭拝」の作法をやり始め、周囲の人々がびっくりしちゃって、お医者を呼んだそうです。頭おかしいんじゃないの?と思ったみたいです。

その時使節団は、これは、2000年の歴史をもつ東洋の美しい作法であると言ったそうです。

日本はそんな作法を行ったことはありません。

日本は大化の改新以降、Chinaの冊封を離れ、互市国のままであったのです。Chinaとは対等のお付き合いです。

その後、華夷秩序体制は崩れ、欧米諸国による植民地体制になりました。

この華夷秩序体制が崩れるきっかけとなったのが日清戦争の日本の勝利です。

そのあと体制が国際法体制で200年ぐらい続きました。その時、日本は半独立国家でした。日露戦争第一次世界大戦で日本が勝ち、国力をつけました。

人種差別撤廃、八紘一宇の精神を謳い国際連盟を脱退しました。これが、欧米諸国の反発を買ったのです。

以下ねずブロより引用。

そこで日本は必死の努力をして、明治44年(1911)には治外法権を全部取り払い、独立国の仲間入りをしました。そして、終戦の1945年までの34年間だけ、日本が世界の中で純粋に独立国家であった時期なのです。

 

このことは、ねずブロに詳しく書かれているので、こちらからどうぞ。

nezu621.blog7.fc2.com

欧米諸国は自分たちの利権を守る為、United Nationsを組み一丸となって日本を叩き潰しにかかりました。そして、第二次世界大戦終戦を迎えるわけです。

現在は、国連秩序体制ですが、日本は「下層国」で敵国扱いなのです。
この敵国は侵略国と位置づけられていますから、上層国・中層国の区別なく勝手に武力を行使しても構いません。(第53条①後段、第107条)

だから、日本が如何に国連に貢献しようとも安全保障理事国になることは難しいのです。

以下ねずブロより引用。

戦後の日本には、治外法権はありませんが、外国の軍隊が常駐しています。
これは日本が国防を外国に委ね、いまだ占領下にあるということですから、完全な独立国とはいえません。

でも、戦後72年が過ぎ、日本も変わり始めています。その影響を受けてアメリカも変わり始めています。日米とロシアを加えて三か国がグローバリストが築き上げた体制を突き崩そうとしています。

以上が、本倭塾のテーマのエッセンスです。

ここからは、講演時のエピソードを紹介していきます。

ねず先生のエピソード話は喩が分かりやすく、なるほど! と腑に落ちます。

 

古代律令体制の図です。天皇の下に弾正台、太政官神祇官の三省があり、太政官は行政を執り行う所です。そのトップが太政大臣で、左大臣、右大臣がいて大納言から上がってきた議案を左大臣、右大臣が話し合います。左大臣の方がちょっと位が高い。左右の大臣が話し合った結果を太政大臣に持っていき、太政大臣がOKを出したらそれが法律となるのです。その前に下の左弁官、右弁官も同様に両者が話し合い、その結果を少納言が納得したら、その上の大納言に少納言が奏上するという仕組みです。必ず三者の意見が入るのです。

その決まった事柄を民(おおみたから)に伝えなければいけませんが、その役割が神祇官なのです。神祇官は神社のネットワークを使って情報の共有化をはかっていたのです。

令集解という資料によると、毎月氏子(村人)が神社に集まって食事会を開きます。

その時に神社の宮司さん達が神祇官からの連絡事項を伝えるのです。

因みにその食事会の時に座る順番ですが、上座から年齢順なのです。身分や権力のあるなし関係なく年齢順なのです。そして、若者が給仕、お世話をするのです。

さらに、昔は神社は稲の苗を育てており、その苗で米を作ります。そして収穫された米は神社に奉納米として献上され、イザという時、災害等の緊急時の為に備蓄米として保存されます。宮司さん達神社の人々は新米を食べたことはなく、古々米から食べていたそうです。だから、どこの神社でも米を保管しておく建物は高床式でネズミ返しがついていたのです。

 そして組織の中には悪さをする人(私腹を肥やす)も出て来るのでチェック機能が必要となります。太政官太政大臣を任命するのは天皇陛下なので、太政大臣を罷免する方法の一つとして、天皇が退位なさることがあります。天皇が変われば、当然新しい太政大臣が任命されるからです。

そして、もう一つの方法が弾正台です。弾正台は行政のやり方を監視しております。

ちょっとでも不正が判明すれば、一刀両断有無を言わせず切り捨てます。

歴史上、弾正台が活躍したことが一回あります。それが、戦国大名織田弾正忠信長が駿河今川義元桶狭間の戦いで打ち取った戦いです。

それを音声で聞いてもらいます。雑音もあり音が小さいので聞きにくいですが、音量を上げてまた、イヤホン等でお聞きくださいませ。


小名木善行 桶狭間の戦いの真相を語る

 信長の兵力は喩ていうならゲンチャリ程度で、それに引き換え今川義元は大型ダンプカー並です。圧倒的に兵力差がありながら信長が義元に闘いを挑んだのは、織田家が弾正の家柄だったからです。足利家の陪臣の陪臣である義元が天下を平定すると言って京に上るのです。普通、戦国時代武将であるなら治めている土地、領民を守る為、「義元さま~ 義元さま~ 私めがご案内申します」とか言って道を譲れば、領土領民は安泰です。それを敢えてしなかったのは、信長が弾正だったからです。あんな氏素性の分からぬ今川義元に天下を取らせる訳にはいかなかったのです。

信長が沢山の戦いの中で一か八かの大勝負に出たのは桶狭間の戦い一回こっきりです。

なるほど!と膝を打ちたくなりました。ねず先生の役者ぶりが超面白いです。Liveでしか味わえない所です。

最後ですが、近未来の会社組織としてホラクラシーという事が言われています。

ネットワーク型経営と言いましょうか、球体経営論です。個々の人がロール(役割)をもって一つの目的の為に動くというのです。以前のようなヒエラルヒー組織ではなく、権限を決めるのはマネージャーでも上司でもなく、ガバナンスミーティングで決めるのです。

ガバナンスミーティングで決めた事が法律で何をしてはいけないが明確なったので、管理する必要がなくなったのです。部署ごとの壁もなくなったし、自由に動けるし、決断が早いのだと思います。これを実践している会社がネミックラムダ社で創業者であられる班目力廣氏です。

最後までお読みくださりありがとうございます。

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