muuchansan’s blog

美しい日本を取り戻す 明察功過 随神の道 日本の子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

日本の最先端技術、食から皇居勤労奉仕活動

日本の最先端技術を開発しているエクボ株式会社の清水社長のお話を聞いて来ました。

 

もうワクワク、ドキドキ💓するお話ばかりでした。

詳細な内容は、公開出来ないのです。

でも、日本の最先端技術は凄いし、日本の未来は明るいです。

清水社長の言葉です。

大人は子供たちに出来ることを、やって見せる こと。

大人になれば、こんな素晴らしい事が出来るんだよ 

と教えてあげることなんです。

 

続いて、群馬県赤城山麓のひふみ農園の収穫祭に参加して来ました!

この日は良い天気でした。

皆で草取り作業を体験しました。

蕪です。これから美味しくなる野菜です。

大根は冬の野菜です。越冬するとさらに甘くなるそうです。

社長です。説明されています。

キャベツ、良く巻いて美味しそう!

 

てんさい糖。煮物にいれると市販の砂糖はいらないそうです。

ひふみの野菜は葉っぱが大きく肉厚で大きくて甘いです。

取れたのピーマンを食べましたが、みずみずしくてあま~い!

 

後で、ぶっかけうどんを食べたのですが、トッピングがすりおろし大根、らっきょ漬け大根、葱などなどひふみ野菜を盛り付けて頂きました。

デザートは焼き芋と無農薬林檎あの有名な奇跡のりんごの木村秋則さんが作ったものを頂きました。ビックリするくらい美味しかったです。

大満足でした。

 

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勤労奉仕活動:11月13日から16日まで、一人もかけることなく奉仕させていただきました。

沢山のご縁をいただき、天皇皇后両陛下、皇太子殿下の御会釈を賜り感激の至りでした。

言葉には、いいあらわせない感動を頂きました。

11月の活動を報告させていただきました。

ありがとうございます。

 

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第56回倭塾レポート

テーマ:GHQが禁止した歴史、地理、修身教育

場所:タワーホール船堀

時間:18:30から20:00

 ねず先生は、開催場所のことを気にされており、講演の前に舟堀についてアンケートをおとりになりました。

でも、一つの情報としてお知らせします。日心会のスタッフより、東海道新幹線で来る人は、品川で降りて総武快速線に乗り、馬喰町駅で降り、都営新宿線馬喰横山駅と繋がっているのでそこらから一本で船堀駅まで来ることが出来ます。東京駅で降りて乗り換えるより便利です。

また、都内の地下鉄だと有楽町線市ヶ谷で都営新宿線乗り換えることが出来ます。

時間的には前回の東陽町とそんなに変わらないと思います。

ご参考までに。。。

今回は、ダイジェスト版でお届けいたします。

今回、書き直したのは、ブログには書けないこともあり、色んな立場の人がいるからです。Live会場にお足をお運び頂ければ、ねず先生の他では聞けないお話も聞けます。

是非、ご来場して頂いて生の先生の波動を感じてくださいませ。

 で、本題です。

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でも、ヨーロッパでは株式会社が出来たのは18世紀ごろで、会社は資本家のもので、資本家が投資会社からCEOとかCOOという人を雇ってきて、儲けさせてくる人を連れて来るのです。

だから、株主がその儲けを殆ど取り上げ、会社のトップクラスの人ともなると4000億、5000億の年収が得られるのです。

 

ある大企業ともなると、6000億円貰ってもおかしくないというのが、ヨーロッパの考え方のです。

日本型会社ではいくら業績の良い会社でも社長の年収は1億に抑えようと法律で決めようともしています。

さらに、日本人のような顔をして、日本語を喋り、日本国籍を持っているけど、日本人でない人が幹部に出世し、会社を乗っ取ろうします。

 

日本人は道義性を重んじ、論理的に証拠に基づいて一個一個反論していく性向がありますが、大陸の人達は、慰安婦南京虐殺事件、徴用工などにしても、喧伝して日本政府を恫喝すれば、お金が取れると思っているので、日本がいくら正論で反論でしてもなんとも思わないです。お金さえ取れればそれで良いのです。

 

その戦略をたてる、リードするエリートが今の日本に居ないことが問題なのです。

原因は今の教育制度にあります。それが、今日のテーマになります。

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GHQによって廃止された教科。歴史(国史)、地理、修身教育。

 

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戦前戦中の学制。尋常小学校までに志を教える。判断の価値観を養うのです。

優秀な子は飛び級もあるし、その子その子の得手不得手あるので、自分の長所を生かした職業につくための学校を選ぶことが出来るのです。

なので、戦前の教育では日本をリードしていくエリートが育ったのです。

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「夢」という感じの成立ちは、草冠に目、そして、その下が夜という字なります。

暗闇の中でぼんやりと見えるのは草。という意味です。

だから、戦前の子供達には将来の貴方の夢はなんですか?と問いかけるのではなく、貴方の志はなんですかと聞きます。

ゆめより具体的にどんな職業についてお国の為に役に立てる人になることが重要だったのです。


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カタカムナからゆめという日本語を説明しています。

ゆは湧き出るもの。めは思考や思念の萌芽。この二つが合わさってゆめは萌え出でる思考や思念 という意味になります。

 

教育の大切が本当に大切だと改めて実感できたお話でした。

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第四回 倭塾関西 レポート

さあ、大阪に来ました。小名木善行先生の倭塾の講演です。

 

日時…11月9日 19時から21時

場所…千里山コミュニティセンター

テーマ…唐の皇帝と日本の天皇

 神谷さんとの打ち合わせのようです。

 

さて、今回はどんなお話でしょうか!

 来年5月今上天皇が御譲位なされて新しい年号になりますが、我が國の天皇とは、どういうものかを改めて考えてみよう ということでそれを歴史を通じてみてみます。

歴史というと年号と人物、事件名を覚える暗記科目として捉える人が多いと思いますが、戦前の学校教育では全然違っていて歴史は考える教科だったのです。

ところが、大東亜戦争で日本が負けてGHQ占領政策で、何故日本はこんなに強かったのか!を徹底的に研究しました。

そして、それは歴史教育、修身教育、地理にあるということを突き止めました。

で、戦後、学校教育からこれらの科目を禁止したのです。

その代わり、現在、戦前行っていた日本が行っていた歴史教育を米国が真似をしてます。

でも、歴史教育は社会科という一分野の教科として復活しましたが、その代わり考える事を止めさせたのです。歴史にIFは禁止したのです。

事実だけの羅列し覚えさせる教科にしたのです。

実社会で、例えば、1192年に鎌倉幕府成立(いい國造ろう 鎌倉幕府 と語呂合わせでおぼえました)を知っていても何の役に立つのでしょう?

大事なことは、何故頼朝は鎌倉に幕府を立てたのかを考える事なのです。

人間生きていく上で、大切なことは判断をすることです。毎日が瞬間瞬間、人は判断しなければいけないのです。

その判断の原点、根拠、価値観を養うのが歴史の授業なのです。

より良い判断を積み上げた人生と、ろくでもない判断を積み上げた人生では大きな差が生まれます。

だから、歴史を学ぶのです。そして歴史が今を生きる人の生きた学問になるのです。

繋がりました。

でも、未だに、國史は復活していません。

外国人が、日本に長くいすぎてしまったと実感するとき。

電車に乗り込むとき、満員電車に乗り込み鞄をドアに挟まれてまでも乗り込む自分を見た時。あと、2分もすれば、次の電車が来るのに先を急ぎます。

 

自動販売機で千円札を何の疑いもなく入れる時、外国では自動販売機は不良品で商品は出てこないし、お釣りも出てきません。

 

戦後の日本人は教育を奪われたのに、何故こんなに優秀なのか?

日本に来る外国人は日本の何を見に来るのがご存知ですか?浅草雷門とか、京都のお寺などを観光するのがメインではないのです。

日本人を見に来るのです。お店に入ったら、何も言わないのでお水が出てきます。何故?それが、彼らにとってはとても理解しがたいことなのです。

明治の初め、英国の詩人エドウィン・アーノルドが言っています。日本には礼節によって生活を楽しいものにするという普遍的社会契約が存在する。これこそ、日本を人生を生甲斐あらしめるほとんどすべて事において、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである あらゆる他国とは自分の國を含めての事です。

 

タウンゼント・ハリス:幕末日米和親条約を締結した人物。日本から金(きん)を大量にせしめていった酷いやつです。

その秘書のヘンリー・ヒュースケンの言葉。(唐人お吉に出て来る人物で無理やりお吉を犯しました。)

スーザン・ハンレイ(米国の女性江戸時代の生活を研究した人)「私が勤労階級に生まれていたならば日本に住みたい」これは日本人が大御宝であることを見抜いています また、あの有名なアインシュタイン博士(大の親日家)の言葉「一系の天皇を戴いていることが、今の日本をあらしめたのである 吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い國を創ってくれたことを」

 

また、竹取物語に出て来る蓬莱山は日本のことであります。

西洋に在っては東方の光の國なのです。

 

また、よく言われることですが、文化レベルが高い國のお隣には、必ずと言っていいほど、おかしな国が存在するものです。

ろくでもない國であっても、そこから学べることがある というのが今回のテーマになります。

行基:7~8世紀の人で我が國最初の大僧正になった人で、大僧正になった人のお顔を遠くチラッとから見るだけで寿命が三年延びる言われています。それほど有難い存在なのです。

良いお顔してますねぇ~

当時の仏教は国家鎮護の為のものであって一般民衆が信仰をすることを禁じていました。それを広めようとしていたのがこの行基なのです。

では、何故当時の朝廷が仏教を広める事を禁じていたのか!

それは当時の統治の仕方にあったのです。例えば、政策で律令制などが決まるとか元号が変わったとかになるとそれを全国津々浦々それらを知らせに行かなけばなりません。

その役目が国司なのです。国司は一国に一人で軍隊を持たずに丸腰で地方の豪族たちを相手に徴収するのです。今でいう広域暴力団の親分の所に行って税の要求をするのです。当時の徴収は地主が払っていたのです。

でも、丸腰でしかも、一人で行って交渉しても相手にされないので、国司たちは豪族たちの子供達に中央の文化学問を教えると言って子供達を人質に取っていました。

そうして、交渉にあたったのです。

でも、豪族ひとりひとりあたっても、中央の政策を広める事は大変なので利用したのが神社のネットワークなのです。

神社は地域の共同体の持ち物で、氏神様を祀ってあり、稲の苗をつくり配り、取れた米を備蓄していたのです。

そして、月に一回は寄合を設けて村中の人を呼んで食事会を開きます。その時に宮司さんから中央の政策を話してもらうのです。実によくできたネットワークです。

だから、神社は朝廷にとっては信仰以外の役目もあったので、そこに仏教という外来の文化が入ってくると厄介なことになり、国家運営に支障をきたすので、禁止していたのですが。。。

行基は、これを破って一般民衆に広めようとしました。何度も何度捕まりましたが、そのうちに仏教の教えが民衆に広まり始めたので、とうとう行基天皇が和解することになりました。

その和解した天皇聖武天皇なのです。

聖武天皇聖武は漢風諡号でここで使われている武の意味は斜めのものを真っすぐにするという意味です。

文武天皇の第一皇子で、母親は富士原不比等の娘、宮子です。

天皇になるには、血筋の濃さが大切で天照大御神からの万世一系の血が最も大切とされたのです。だから、天皇は父の兄弟の娘、孫娘を皇后として迎えその子が次世代の天皇になるのです。

でも、聖武天皇は臣下である藤原不比等の娘が母です。

異例のことなのです。

 

この聖武天皇のご時世は、色々な人災自然災害に見舞われ、728年に隕石は落ちるは、翌年長屋王の乱がおき、全国的な大旱魃五畿七道地震(今でいう南海トラフ地震)、天然痘の大流行で8割もの貴族が死に、等々本当に大変だったのです。

なので、奈良の都から遷都をしました。恭仁京(くにのみや)難波京と移しましたが、よくならない為、すぐ戻すなど混乱が続きました。

そして、741年遂に聖武天皇行基と和解し、行基東大寺大仏建立の責任者にして、仏教を解禁に踏み切ったのです。

多くの公家たちに帰依させ、仏教を国家宗教としたのでした。

そんな苦難があった中、天平文化が花開き、素晴らしい国風の仏像、肖像画が描かれました。

突然ですが、皆さんに質問です。

答えです。

すごいでしょ。これが、日本人なのです。これは、一定以上の銅を寄付した人の人数です。

苦難の連続でしたが、仏教が多くの人々に還元されました。

ここで、百人一首27番歌、中納言兼輔の歌を紹介します。

孫娘が紫式部。この肖像画は金字(この頃から日本は金が豊富にあったことが分かります)の著色で医王寺にあり、重文に指定されています。

歌の意味:仏教の布教という流れがあり、葛藤がありましたが、その葛藤があったことが懐かしいと歌っているのです。

兼輔は当時の和歌文化の中心的存在でスポンサーでもあり、保守の大物です。

今の時代で言うと、衆議院議員中山成彬先生が「共産主義文化は素晴らしい」と言ったようなものなのです。(大爆笑!(^^)!)

たとえ異文化の物でも、民(おおみたから)が豊かになるのなら取り入れていこうじゃないかという事です。我が國は天皇の知らす國だからです。

日本文化以外は使っちゃいけないとなるとドンドン世界から遅れてしまいます。

柔軟な姿勢が必要なのです。

そして、ここからシナの皇帝、王朝との比較に入ります。

今の中共もいずれはこのように分裂していくと思われます。

そうして、隋、唐と統一王朝が出来ます。隋も唐も漢字の成り立ちは食肉を意味します。隋は北方系の遊牧民族でChinaを統一しました。

 

京抗大運河…目的は産業の振興と軍の迅速な移動のため水路を造りました。

隋の皇帝煬帝が女子供合わせて100万人の人を動員し、昼夜を問わず、食料もろくに与えず、死ぬまで働かせ、死んだ作業員の死体は生き残った人の食料になりました。

こうして完成した運河に容体は遊覧船を浮かべて派手な行楽を行ったのです。

これには、さすがの民衆も怒り、これが大義名分となって隋王朝は倒れたのです。

 

天帝が易わり、姓が革まる、だから易姓革命なのです。

右の絵は漫画北斗神拳ラ王です。

シナの皇帝は姓を持っていますが、我が國の天皇には姓はありませんから、易姓革命は起こらないです。

シナの皇帝は天命をうけた天帝の代わりなので、絶対で最高の権力者なのです。

このことを具体的に表した著作、入唐求法巡礼行記(日本人僧侶の円仁、後の第三代天台座主 慈覚大師です)があります。世界三大旅行記と言われ、岩波文庫から¥180で変えますが、前書きと後書きのみで中身がありません。円仁がシナで過ごした日々の暮らしのことがすべてカットされています。岩波文庫らしいといえばそれまでですが...

 

皇帝の討伐軍が叛乱軍を鎮圧するのですが、中々良い知らせが来ないので、皇帝は将軍が叛乱軍と通じているのではないかとあやしみます。

これを聞いた追討軍の将軍は付近の農民や商人を捕まえてきて叛乱軍の捕虜としました。長安の近衛兵たちは、捕虜を生きたまま目玉をくりぬいて食べたそうです。

日本人には考えられない感覚です。輩には食に禁忌はないのです。

坂東忠信さんが言っていたのですが、池袋で目玉を売っている店があるのでそれを本に載せようとした所流石に出版社に止められたそうです。

シナ人に言わせると白人の肉は美味しくないらしく、一番美味しいのは日本人の肉らしいです。

 

さらに、酷いことが続きます。スライドを読んでください。

要するに一人の我儘な皇帝が、自分以外はどうでもよいと思っているのです。

民衆など虫けら以下の存在でしかないのです。

これが最高権力者が陥ることなのです。

 

白村江の戦いで日本は唐新羅の連合軍に敗れてしまいます。

日本の危機なのです。

だから、日本は唐の属国にならない為にも、強力な統一国家をつくる必要があったのです。律令体制を作りました。

天皇は権力者の上の最高権威者であり、民をおおみたからとしたのです。

君民一体なのです。権力者は天皇の信任を得て初めて権限を行使できるのです。

天皇の大御宝である民を支配することはしなくて、あずかりものとして統治していくのです。

今の日本の総理大臣、衆参議長、最高裁判所長も天皇陛下の信任を受けて初めて権限が行使できるのです。

象徴天皇と言われますが、昔から日本の天皇は象徴であったのです。

 

政治形態の移り変わりのスライドです。

写真はパラオの集会所です。

今は選挙制民主主義ですが、「2位じゃ駄目なんですか?」と言って日本の科学技術予算を減らし、国力を落とししめた政治家は責任は取りません。

でも、民間のある企業は凄い技術を持っていて、電波で音を飛ばしスピーカーで空気を振動させて音を聞かせますが、スピーカーなしで直接空気を振動させて音を聞かす技術があり、反重力で車を浮かすことが出来、これを利用して電磁バリアをつくり、核の放射エネルギーから守ることが出来るのです。

この世は物質はから出来ているからです。それをコントロールできれば、空気中から水を作り出すことも可能なのです。

それが、次に行くところに繋がっていきます。

いずれにしても、権力者は責任を取らないのです。

 

 

いい笑顔ですねぇ~。

ねず先生は女子バレーボールが好きなのです。

国民こそがおおみたから であるということが一番大切で民を豊かにするにはどうすればよいか そこの立場に立って考える事が人が必要なのです。

次の日は神奈川に向かいます。

 最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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齋藤武夫先生の歴史の授業

今月11月に入り、週末をほとんど電車に乗っており、東京➡名古屋➡大阪➡神奈川➡群馬赤城山麓➡東京 と飛び回っていました。

後でわかるのですが、色々な講演会に参加しているのですが、全てが繋がっていくのです。

 

先ず、皮切りは『新しい歴史教科書をつくる会』の齋藤武夫先生の講義です。

東京神楽坂です。

齋藤先生は、元小中学校の教師であられて日本の正しい歴史を子供たちに教える為に、自ら教師の為の指導教科書をつくり、実践されています。

今の歴史教科は社会科の中の一部ですが、戦前までは國史授業だったのです。

先生のキーワードは『歴史は我が事、自己肯定感、そして自分の番が回って来る』

齋藤先生の授業は、歴史の転換期にその当時の指導者は何を考えていたか!君たちが当時の指導者の立場になって考えてみよう という授業なのです。決して歴史は暗記科目ではないのです。

IFを考えるのが歴史授業なのです。

では、その一例を紹介します。

 

これが、発問です。この質問をして自分の考えを書かせて、先ずはAかBか手を挙げさせて討論に入ります。どちらが正解というクイズ形式ではないのです。

自分の意見を述べあうことが大切なのです。そうすると、子供たちの目つきが変わるそうです。当時の東条英機首相の苦悩が分かるのです。

僕も学生時代こんな授業を受けたかったです。残念で仕方がありません。

更に、

このスライドを見せると子供たちは感動します。

日本人として生まれてきて良かったと思うのです。アイデンティティーと自己肯定感が培えるのです。

この講義を聞いて涙が出そうになりました。心打つお話でした。

 

そして、その齋藤先生の講演を聞いた現役の若い教師の公開授業を見に行ってきました。

それが愛知教育大学附属名古屋小学校教諭鈴木光城先生の社会科授業です。6年2組です。

そぼ降る雨の中到着です。

愈々、授業が始まりました。発問です。

当時の新聞の紹介です。

 

板書だけでなく、パワーポイントのスライドも使います。

 

齋藤先生も見に来ています。

 

当時の東条英機首相の立場になって考えてみよう!

A案アメリカとの話を続ける賛成の意見:日本の国力を考えると戦争をしても勝てる相手ではない。

B案すぐにアメリカ戦争をする準備をする賛成の意見:話をしているうちに石油がなくなってしまう。こんな時にソ連満州に攻め込んできたら戦う事ができない。

等々、さまざまな意見が出て活発な討論がされています。

大人顔負けの考えを持っているのです。

 

データを子供たち見せます。

当時の日本國民、政府の関係性を示しています。

 

 

一般の教科書は使わずに先生の手作りのプリントで授業を進めます。

最後にC案もあったことを出します。

まとめ 感想

先ずは、時代は進んでいるという事を実感しました。僕らの時代は先生が板書したことを一所懸命ノートに書き写す作業ばかりしていました。

この授業ではそんなことはしないのです。自分の意見をまとめ、発表するのが勉強する場なのです。

授業で書いたことは後で先生がプリントにして渡すからです。

皆の前で自分の意見を言うことが大切なのです。

この子たちが何も特別ではなくて普通の子供達です。やればできるのです。

みんなイキイキと目が輝いていました。

また、指導する先生も素晴らしいです。こういう若い教師がどんどん増えていけば、日本は確実に変わるのです。

なぜなら、後10年15年すれば子供は大人になり、選挙権、被選挙権を持ちその子らが将来の日本を変えてくれるのです。

久々に清々しい気分になって、大阪に向かいます。

 

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稲刈り体験&酒蔵見学

イシキカイカク大学で部活動というのがあって、各支部活動というものがあります。

その中の関西支部の勉強会の一貫として、先月、日本の食の根本である米の生産と加工製品である酒蔵の見学授業の報告です。

 

農業は國の根幹産業です。国民の食を守る事は、安全保障でもあるのです。

ということで、稲刈り体験をして来ました。

場所は兵庫県三木市です。

lino-works.net

 

主催はここ。のらのらの楽校。

里山の風景と稲刈りの様子をお楽しみください。

古民家です。

 

 日本の原風景がここにあります。あの唱歌「ふるさと」の歌詞そのものの景色です。

自然との共生とは、まさにこのことを言うのでしょう。

この風景は、子や孫たちの為に絶対残さなければ。。。と決意を新たにしました。

 

野良仕事は、初めての体験でイメージしていたこととのギャップがあって、思っている以上にキツカッタデス。歳には勝てないです。(ToT)/~~~

手作業で鎌を使って刈っているうちに、縄文人もこんな風に皆が協力し合って仕事をしていたんだ!とふと脳裏をかすめました。

これは、カヤネズミの巣だそうです。大変珍しいそうです。

 

充実感と心地良い肉体の疲れで、熟睡できました。(-_-)zzz

皆様、お疲れ様でした。

次の日は、滋賀県にある酒蔵岡村本家の金亀酒蔵開きを見学してきました。

 kin-kame.co.jp

 

日本酒が美味しい所は言うまでもなく、お米と水が美味しい所です。

ここでは、鈴鹿山脈の伏流水を使ってお米を洗っています。

工程の概略を説明すると、甑(こしき)と呼ばれるものに入れて蒸しあげる➡48時間以上かけて米から麹をつくる➡仕込み 一気に残りの米をいれると発酵が止まるので数回に分けて仕込みます。岡村本家では4回に分けて仕込みます。(4段仕込み)先代の蔵人さん達は、「酒造りの唄」を歌い、時間と櫂を入れる一定した動作などのタイミングを図りながら仕込みをされておりました。(風情があっていいですねぇ~)➡手作りで行う昔ながらの木艚袋搾り(きぶねふくろしぼり)これがこの酒蔵のこだわりで、お酒に優しく搾り過ぎない為残りの酒粕も美味しいそうです。

手間暇かけて、ゆっくりと作り上げていく...

 

今の会社は効率、稼働率、コストパフォーマンスなどを追及して株主(グローバリスト)に利益を還元することばかり考えています。本物の美味しさ、品質を追求するには、今のやり方の真逆をやらないといけないようです。それが、本来の日本の会社の姿あるような気がします。

利益のみを追及する会社は長く続かないです。だから真逆の経営をしている日本の会社は創業何百年も続いている会社が沢山あるのです。

 

本物の会社を残すために消費者の意識改革も重要で、安けりゃなんでも良いという考え方を変えていかないと、日本型経営の会社は生き残れないです。

 

朝からお酒を沢山試飲して、酔っ払いです。それにしても旨かった!(^_-)-☆

 

おまけ。

時間が余ったので、ちょっと足を伸ばして国宝彦根城を見てきました。

 

 

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陸上自衛隊明野駐屯地航空祭 レポート

今、全国各地で自衛隊の祭りが開催されていますが、僕の住んでいる隣町小俣町明野駐屯地でも開設63周年、航空学校創立66周年で例年の航空祭が催されました。

www.mod.go.jp

生憎の雨にもかかわらず、8時開門で僕は7時半に現地についたのですが、もう長蛇の行列が出来ていました。

雨が降っていたので、寒くて待っている時間が長く感じられました。

 

で、やっと門に辿り着きました。

 

雨が降っているので倉庫からヘリコプターのデモストレーションを見ようと待っている人々です。用意の良い人はブルーシート、折りたたみ椅子を持参して待っています。

ところで、これ何の為の模型だと思いますか?

機体に取り付けるアンテナの感度(アンテナパターン)を測るため十分の一のスケールの模型を造りそれで屋内外の場所に取り付けて測定します。

 

 発射機。牽引車から外すところです。

プログラムの一部です。

10時よりオープニングセレモニーが始まりました。ひげの隊長こと佐藤正久参議院議員が祝辞挨拶を述べられました。

 

 


20181104akeno koukuusai

必見のヘリコプターのアトラクションです。

 

 カッコいいヘリの写真です。

 歴史のお勉強です。

歴代の学校長の写真、制服、徽章、備品、特攻に行くことが決まり両親へのお手紙などが展示されています。

お手紙は達筆な字で書かれており、胸迫る思いが伝わってきてうるっときてしまいました。

 

 校門を入るとすぐの所にあります。航空学校のシンボルです。

 

一日たっぷりと楽しむことが出来ました。

伊勢神宮の近くにあり、有事の際は天照大御神を守るミッションもあるかと思います。

本物のヘリコプターや弾丸の迫力に圧倒されるところもありましたが、実際見ることにより、改めて国防の大切を痛感しました。

また、隊員たちのきびきびした動作、丁寧で謙虚な言葉使いに清々しさを感じ、彼ら彼女達のモチベーションを上げるためにも待遇の改善を望みます。

一つ気づいたことがあって、雨合羽を着て、デジカメ、スマホを手に持ち、飲み物をレジ袋に入れぶら下げて、傘をリュックサックに挟んでいる容姿は当にオタクでした。

(^_-)-☆

 

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星田妙見宮 参拝

星田妙見宮の御祭神

本座…天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、高皇産霊大神(たかみむすび

   のおおかみ)、神皇産霊大神(かみむすびのおおかみ)

仏教にては北辰妙見大菩薩

道教陰陽道にては太上神仙鎮宅霊符神 

住所…大阪府交野市星田9-60-1

www.hoshida-myoken.com

僕が星田妙見宮を知ったのは、イシキカイカク大学の部活動のなかで神社・お寺・スピリチュアル部というのがあって、そのメンバーのK君が大阪枚方市の近くで昔、隕石が落ちた所に神社があると聞いたのが最初でした。

 

それから、偶然か必然か分からないけど、雑誌『玉響8月号』を読んでいると中矢代表と長典男先生の対談記事が掲載されており、星田妙見宮の事が話題になっていました。

玉響から長先生のお話を一部引用します。

西暦536年に彗星が大阪のけいはんな学研都市付近に落ちたんです。

その場所には現在「星田妙見宮」という神社が建っていてその側と言えるかは微妙ですが、枚方という場所にその当時の都がありました。

その都が彗星の影響で、すべて吹き飛んでしまったそうです。

現在、そのあたりは大阪府の手で発掘調査が進められています。

その遺跡を発掘している方々の思いとしては、年代で言うとちょうど大化の改新の頃でしたので、もしかしたら奈良ではなくて、大阪で大化の改新をやったのではないかというものでした。

そこはもともと出雲系の都だったのですが、そこに彗星が落ちてすべて吹き飛んでしまった。今で言えば、東京に彗星が落ちてすべての政府機関が吹き飛んでしまったような状態であったように思われます。...

この記事が歴史好きの僕の興味を非常にそそり、これは行ってみなくていけない所だと機会を伺っていました。

で、丁度10月に倭塾関西が開催されるので、当日倭塾開催の前に行っておこうと出かけました。

JR大阪環状線京橋で乗り換え学研都市線 星田駅で降り、徒歩36分、てくてくと辺りの風景を見ながら妙見神社まで歩きました。

良い雰囲気を出しております。

鳥居をくぐると阿吽の像があり、サッと空気が変わるのを感じました。

歩いてきたのでうっすら汗ばんでいたのですが、すーっと涼しい風が通り汗が引いていきました。

こころの中で「いいね」を押しました。

 

人々の運命は、各自の生まれた時の星座によっても、また日々の星座の運行によっても影響されますが、その運命の星は北の空の中心に位置する北辰星に統率されるので、北辰星は人々の運命の司配神として信仰されました。

北辰に当たる星は、その時代によって少しづつ異なってまいります。

この北辰を妙見菩薩という御名によって信仰するのが妙見信仰であります。

星辰信仰は紀元前三千年頃の古代バビロニアに始まり、その後、バラモン教ヒンズー教を経て大乗仏教に入り、三~四世紀の魏、晋の時代に仏教としての妙見信仰が確立します。

朝鮮半島に伝わった妙見信仰は、韓民族の北斗七星信仰と習合し、推古五年(597年)に百済琳聖太子阿佐によって、聖徳太子に伝えられました。聖徳太子は妙見様を朝廷の守護神として都の四方に祀られました。

平安時代中期からは、武士団の氏神的信仰として、室町時代からは一般大衆の守り神として広く人々に信仰を集め、妙見宮として全国各地に祀られました。

仏教としてお祀りされているにもかかわらず、神社形態でお祀りされている所も多くありました。それで明治維新神仏分離令により多くの妙見宮が廃止されました。

しかし、当妙見宮は小松神社と称し、天之御名主大神として今日までその信仰が神仏混淆として連綿として受け継がれてきました。(由緒書より抜粋)

七曜の星とは、北斗七星の事であります。

 漫画の説明もありました。

妙見宮の大岩は織女石と地元では呼ばれ、七夕伝説縁の地です。

こうしてみると、人は日頃はあまり感じませんが、宇宙のエネルギー、力を日々受けて生きているのが良く分かります。

愈々という感じです。

 

七夕伝説、天の川銀河をイメージしているのでしょうか。

 おおっ、なんと急な階段!少しメゲソウになります。後ひと踏ん張りです。

 登り切りました。街が一望できます。

お詣りを済まし、今度は下りです。

社務所御朱印を頂きました。

宮司さんに隕石が落ちた場所の事を聞いたところ、近くにあり、もう台風による通行止めも解除されたので行ってみることにしました。

 

落ちた隕石というのが、北斗七星と同じ方向から来たペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タットル彗星からの隕石であった と書いてあります。

彗星が日本の都の近くに落ちたなんて、凄い奇跡で、偶然で、一瞬にして都が吹き飛んでしまった事を想像すると恐ろしくもあります。

 

この事件をきっかけに、古代日本は大きく変わっていったのだと思います。

神社っていいですねぇ~ おしまい。

 

 

告知です。イシキカイカク大学第三期のチラシ出来ました。

ご興味のある方、ご覧ください。

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