muuchansan’s blog

美しい日本を取り戻す 明察功過 随神の道 日本の子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

第四回 倭塾関西 レポート

さあ、大阪に来ました。小名木善行先生の倭塾の講演です。

 

日時…11月9日 19時から21時

場所…千里山コミュニティセンター

テーマ…唐の皇帝と日本の天皇

 神谷さんとの打ち合わせのようです。

 

さて、今回はどんなお話でしょうか!

 来年5月今上天皇が御譲位なされて新しい年号になりますが、我が國の天皇とは、どういうものかを改めて考えてみよう ということでそれを歴史を通じてみてみます。

歴史というと年号と人物、事件名を覚える暗記科目として捉える人が多いと思いますが、戦前の学校教育では全然違っていて歴史は考える教科だったのです。

ところが、大東亜戦争で日本が負けてGHQ占領政策で、何故日本はこんなに強かったのか!を徹底的に研究しました。

そして、それは歴史教育、修身教育、地理にあるということを突き止めました。

で、戦後、学校教育からこれらの科目を禁止したのです。

その代わり、現在、戦前行っていた日本が行っていた歴史教育を米国が真似をしてます。

でも、歴史教育は社会科という一分野の教科として復活しましたが、その代わり考える事を止めさせたのです。歴史にIFは禁止したのです。

事実だけの羅列し覚えさせる教科にしたのです。

実社会で、例えば、1192年に鎌倉幕府成立(いい國造ろう 鎌倉幕府 と語呂合わせでおぼえました)を知っていても何の役に立つのでしょう?

大事なことは、何故頼朝は鎌倉に幕府を立てたのかを考える事なのです。

人間生きていく上で、大切なことは判断をすることです。毎日が瞬間瞬間、人は判断しなければいけないのです。

その判断の原点、根拠、価値観を養うのが歴史の授業なのです。

より良い判断を積み上げた人生と、ろくでもない判断を積み上げた人生では大きな差が生まれます。

だから、歴史を学ぶのです。そして歴史が今を生きる人の生きた学問になるのです。

繋がりました。

でも、未だに、國史は復活していません。

外国人が、日本に長くいすぎてしまったと実感するとき。

電車に乗り込むとき、満員電車に乗り込み鞄をドアに挟まれてまでも乗り込む自分を見た時。あと、2分もすれば、次の電車が来るのに先を急ぎます。

 

自動販売機で千円札を何の疑いもなく入れる時、外国では自動販売機は不良品で商品は出てこないし、お釣りも出てきません。

 

戦後の日本人は教育を奪われたのに、何故こんなに優秀なのか?

日本に来る外国人は日本の何を見に来るのがご存知ですか?浅草雷門とか、京都のお寺などを観光するのがメインではないのです。

日本人を見に来るのです。お店に入ったら、何も言わないのでお水が出てきます。何故?それが、彼らにとってはとても理解しがたいことなのです。

明治の初め、英国の詩人エドウィン・アーノルドが言っています。日本には礼節によって生活を楽しいものにするという普遍的社会契約が存在する。これこそ、日本を人生を生甲斐あらしめるほとんどすべて事において、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである あらゆる他国とは自分の國を含めての事です。

 

タウンゼント・ハリス:幕末日米和親条約を締結した人物。日本から金(きん)を大量にせしめていった酷いやつです。

その秘書のヘンリー・ヒュースケンの言葉。(唐人お吉に出て来る人物で無理やりお吉を犯しました。)

スーザン・ハンレイ(米国の女性江戸時代の生活を研究した人)「私が勤労階級に生まれていたならば日本に住みたい」これは日本人が大御宝であることを見抜いています また、あの有名なアインシュタイン博士(大の親日家)の言葉「一系の天皇を戴いていることが、今の日本をあらしめたのである 吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い國を創ってくれたことを」

 

また、竹取物語に出て来る蓬莱山は日本のことであります。

西洋に在っては東方の光の國なのです。

 

また、よく言われることですが、文化レベルが高い國のお隣には、必ずと言っていいほど、おかしな国が存在するものです。

ろくでもない國であっても、そこから学べることがある というのが今回のテーマになります。

行基:7~8世紀の人で我が國最初の大僧正になった人で、大僧正になった人のお顔を遠くチラッとから見るだけで寿命が三年延びる言われています。それほど有難い存在なのです。

良いお顔してますねぇ~

当時の仏教は国家鎮護の為のものであって一般民衆が信仰をすることを禁じていました。それを広めようとしていたのがこの行基なのです。

では、何故当時の朝廷が仏教を広める事を禁じていたのか!

それは当時の統治の仕方にあったのです。例えば、政策で律令制などが決まるとか元号が変わったとかになるとそれを全国津々浦々それらを知らせに行かなけばなりません。

その役目が国司なのです。国司は一国に一人で軍隊を持たずに丸腰で地方の豪族たちを相手に徴収するのです。今でいう広域暴力団の親分の所に行って税の要求をするのです。当時の徴収は地主が払っていたのです。

でも、丸腰でしかも、一人で行って交渉しても相手にされないので、国司たちは豪族たちの子供達に中央の文化学問を教えると言って子供達を人質に取っていました。

そうして、交渉にあたったのです。

でも、豪族ひとりひとりあたっても、中央の政策を広める事は大変なので利用したのが神社のネットワークなのです。

神社は地域の共同体の持ち物で、氏神様を祀ってあり、稲の苗をつくり配り、取れた米を備蓄していたのです。

そして、月に一回は寄合を設けて村中の人を呼んで食事会を開きます。その時に宮司さんから中央の政策を話してもらうのです。実によくできたネットワークです。

だから、神社は朝廷にとっては信仰以外の役目もあったので、そこに仏教という外来の文化が入ってくると厄介なことになり、国家運営に支障をきたすので、禁止していたのですが。。。

行基は、これを破って一般民衆に広めようとしました。何度も何度捕まりましたが、そのうちに仏教の教えが民衆に広まり始めたので、とうとう行基天皇が和解することになりました。

その和解した天皇聖武天皇なのです。

聖武天皇聖武は漢風諡号でここで使われている武の意味は斜めのものを真っすぐにするという意味です。

文武天皇の第一皇子で、母親は富士原不比等の娘、宮子です。

天皇になるには、血筋の濃さが大切で天照大御神からの万世一系の血が最も大切とされたのです。だから、天皇は父の兄弟の娘、孫娘を皇后として迎えその子が次世代の天皇になるのです。

でも、聖武天皇は臣下である藤原不比等の娘が母です。

異例のことなのです。

 

この聖武天皇のご時世は、色々な人災自然災害に見舞われ、728年に隕石は落ちるは、翌年長屋王の乱がおき、全国的な大旱魃五畿七道地震(今でいう南海トラフ地震)、天然痘の大流行で8割もの貴族が死に、等々本当に大変だったのです。

なので、奈良の都から遷都をしました。恭仁京(くにのみや)難波京と移しましたが、よくならない為、すぐ戻すなど混乱が続きました。

そして、741年遂に聖武天皇行基と和解し、行基東大寺大仏建立の責任者にして、仏教を解禁に踏み切ったのです。

多くの公家たちに帰依させ、仏教を国家宗教としたのでした。

そんな苦難があった中、天平文化が花開き、素晴らしい国風の仏像、肖像画が描かれました。

突然ですが、皆さんに質問です。

答えです。

すごいでしょ。これが、日本人なのです。これは、一定以上の銅を寄付した人の人数です。

苦難の連続でしたが、仏教が多くの人々に還元されました。

ここで、百人一首27番歌、中納言兼輔の歌を紹介します。

孫娘が紫式部。この肖像画は金字(この頃から日本は金が豊富にあったことが分かります)の著色で医王寺にあり、重文に指定されています。

歌の意味:仏教の布教という流れがあり、葛藤がありましたが、その葛藤があったことが懐かしいと歌っているのです。

兼輔は当時の和歌文化の中心的存在でスポンサーでもあり、保守の大物です。

今の時代で言うと、衆議院議員中山成彬先生が「共産主義文化は素晴らしい」と言ったようなものなのです。(大爆笑!(^^)!)

たとえ異文化の物でも、民(おおみたから)が豊かになるのなら取り入れていこうじゃないかという事です。我が國は天皇の知らす國だからです。

日本文化以外は使っちゃいけないとなるとドンドン世界から遅れてしまいます。

柔軟な姿勢が必要なのです。

そして、ここからシナの皇帝、王朝との比較に入ります。

今の中共もいずれはこのように分裂していくと思われます。

そうして、隋、唐と統一王朝が出来ます。隋も唐も漢字の成り立ちは食肉を意味します。隋は北方系の遊牧民族でChinaを統一しました。

 

京抗大運河…目的は産業の振興と軍の迅速な移動のため水路を造りました。

隋の皇帝煬帝が女子供合わせて100万人の人を動員し、昼夜を問わず、食料もろくに与えず、死ぬまで働かせ、死んだ作業員の死体は生き残った人の食料になりました。

こうして完成した運河に容体は遊覧船を浮かべて派手な行楽を行ったのです。

これには、さすがの民衆も怒り、これが大義名分となって隋王朝は倒れたのです。

 

天帝が易わり、姓が革まる、だから易姓革命なのです。

右の絵は漫画北斗神拳ラ王です。

シナの皇帝は姓を持っていますが、我が國の天皇には姓はありませんから、易姓革命は起こらないです。

シナの皇帝は天命をうけた天帝の代わりなので、絶対で最高の権力者なのです。

このことを具体的に表した著作、入唐求法巡礼行記(日本人僧侶の円仁、後の第三代天台座主 慈覚大師です)があります。世界三大旅行記と言われ、岩波文庫から¥180で変えますが、前書きと後書きのみで中身がありません。円仁がシナで過ごした日々の暮らしのことがすべてカットされています。岩波文庫らしいといえばそれまでですが...

 

皇帝の討伐軍が叛乱軍を鎮圧するのですが、中々良い知らせが来ないので、皇帝は将軍が叛乱軍と通じているのではないかとあやしみます。

これを聞いた追討軍の将軍は付近の農民や商人を捕まえてきて叛乱軍の捕虜としました。長安の近衛兵たちは、捕虜を生きたまま目玉をくりぬいて食べたそうです。

日本人には考えられない感覚です。輩には食に禁忌はないのです。

坂東忠信さんが言っていたのですが、池袋で目玉を売っている店があるのでそれを本に載せようとした所流石に出版社に止められたそうです。

シナ人に言わせると白人の肉は美味しくないらしく、一番美味しいのは日本人の肉らしいです。

 

さらに、酷いことが続きます。スライドを読んでください。

要するに一人の我儘な皇帝が、自分以外はどうでもよいと思っているのです。

民衆など虫けら以下の存在でしかないのです。

これが最高権力者が陥ることなのです。

 

白村江の戦いで日本は唐新羅の連合軍に敗れてしまいます。

日本の危機なのです。

だから、日本は唐の属国にならない為にも、強力な統一国家をつくる必要があったのです。律令体制を作りました。

天皇は権力者の上の最高権威者であり、民をおおみたからとしたのです。

君民一体なのです。権力者は天皇の信任を得て初めて権限を行使できるのです。

天皇の大御宝である民を支配することはしなくて、あずかりものとして統治していくのです。

今の日本の総理大臣、衆参議長、最高裁判所長も天皇陛下の信任を受けて初めて権限が行使できるのです。

象徴天皇と言われますが、昔から日本の天皇は象徴であったのです。

 

政治形態の移り変わりのスライドです。

写真はパラオの集会所です。

今は選挙制民主主義ですが、「2位じゃ駄目なんですか?」と言って日本の科学技術予算を減らし、国力を落とししめた政治家は責任は取りません。

でも、民間のある企業は凄い技術を持っていて、電波で音を飛ばしスピーカーで空気を振動させて音を聞かせますが、スピーカーなしで直接空気を振動させて音を聞かす技術があり、反重力で車を浮かすことが出来、これを利用して電磁バリアをつくり、核の放射エネルギーから守ることが出来るのです。

この世は物質はから出来ているからです。それをコントロールできれば、空気中から水を作り出すことも可能なのです。

それが、次に行くところに繋がっていきます。

いずれにしても、権力者は責任を取らないのです。

 

 

いい笑顔ですねぇ~。

ねず先生は女子バレーボールが好きなのです。

国民こそがおおみたから であるということが一番大切で民を豊かにするにはどうすればよいか そこの立場に立って考える事が人が必要なのです。

次の日は神奈川に向かいます。

 最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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