癒しの杜

美しい日本を取り戻す 随神の道 子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

第49回 京都ヲシテ講習会 報告

令和2年2月15日 13時半より 16時ぐらい

場所:桃源山 明覺寺 明覺寺会議室(京都市下京区平野町783)

昨日、今年二回目のヲシテ講習会に参席してきました その報告と感想を書かせていただきます

 

講義が始まる前、早く来た人達と池田先生を囲んで楽しい昼食会があります

先ずは、先生のお点前の抹茶が振舞われます

皆さんがおもたせや手作りのおかずを持ち寄って、お喋りをしながら食事をします

ひとりで食べるより沢山の人と食事をする方が食事が美味しくいただけます

 

ひとしきり、お喋りが終わり、後片付けをして愈々講義の始まりです

最初は、ヲシテ文字の書き取りの説明です

先生直筆のヲシテ文字の掛け軸を飾ります

ヲシテ文献ホツマツタヱミカサフミ、カクノミハタ)を理解するという事は、我が國日本の本当の高貴さを取り戻すためです

 

考古学だけではわからない、本当の『縄文哲学』は文献学からだけが明らかにしえるものです 本当の日本を知るには『ヲシテ文献』から読み取れるのです

我が國の大文明の素晴らしさを復活させるこの運動は、『ヲシテ・ルネッサンス』とも呼ぶべきものです

ヲシテ文字、ヲシテ時代中期の文章を広めることこそ、本来の日本を知ることになるのです なぜなら、ヲシテ文献は『記紀』の原書であるからです

 

今回のテーマ 『ミカサフミ 3アヤ目』 ミカサフミ ヒメ・ミヲの アヤ

ミカサのヤマ(奈良市三笠山)の麓において、アマノコヤネはミチを説いていました

アマノコヤネの祖父ツワモノヌシからの伝えの「ヒヒメ・ミヲをウム、トノ、ヰつつ」の訳を解き明かしました

イサナギさん、イサナミさんがヒ・ヒメ(1女)とミヲ(3男)のミコを儲けたのに、ウフヤ(産屋)のトノ(殿、館)が5か所だったと言うのです

1+3は4なのに、どうして5個所であるのかが、不思議な所です

この不思議に答えたのが、カナサキのヲキナ(住吉大社の御祭神)だったのです

 

ミウエのフタカミがご婚儀を整えられた頃からの話で、イサナギさん、イサナミさんはツクハ(筑波山)にて婚儀の巡り問いをなさいました

これは古事記にも載っている有名な言葉になります

 

イサナミさんが問います

「メのミには なりなり足らぬ メモトあり」

それに、イザナギさんが答えます

「ヲカミのなりて あまるもの あわせてミコを うまん」

と仰いましてミトのマクハイを為して、コ(子)をハラミ(孕み)まして、お生まれになられたのがヒルコヒメさんでした

 

ところが、両親ともにアメのフシ(後の厄年)に当たっていたので、三年にならないうち捨て子にして他の人に育ててもらう事が良いとされていました

ヒルコヒメもイワクス・フネ(綺麗に飾った船)にのせて、儀式的な捨て子にしました

直ぐに、カナサキが拾い子にして育てるのでした カナサキのヲキナ(立派な人物)は、ヒルコヒメを拾い子として得た土地をヒロタと名付けます この地、すなわち、ニシトノにて養育をなさいました(ニシトノは、現在の広田神社、および西宮神社でしょう 中世には西宮神社は、広田神社の浜の南の宮・南宮神社とも記録があります)

 

この後、フタカミはウキハシ(大いなる架け橋、皇位継承のこと)これを漢字に直訳して浮橋と訳すと間違った意味で捉えたり、訳が分からなくなります

ウキハシを世の中の自然の成り行き(オノコロ)から得ることになりました

つまり、7代目のアマカミへの継承が決まったのです

これも有名な所

ヤヒロノトノ(八間の大きなトノ、八角形のトノ?)にナカハシラ(中央の柱)を立てて、世継ぎのミコを生まんとして巡ります

コトアケ(宣言)をするに際して、キタ(来た、北)からメ(女性)はヒタリ(ヒが立ち上がり、左)へと巡ります

ヲ(男性)はミキ(実に成ってきます、右)へと、それぞれが別れて巡ります

ミナミ(身にナミ(エネルギー)を得る、南)にて出会いました時に、宣言します

メ(イサナミさん)が先にコトアケします

「あなにえや ゑをとこ」と

そして、ヲ(イサナギさん)が答えてコトアケします

「わなうれし ゑおとめ」と

お互い歌い合わせてミコを孕みました 

ところが、流産してミコとしては産まれませんでした ヱナ(赤ん坊の養育膜)がヤフレ(破れて)しまって、ヒヨルコ(流産の子)のアワと流れてしまいました

お世継ぎの候補にもならない残念な事でした

アシフネ(素朴な芦草で作った船)にのせて流し、捨てましたのは、アハチ(淡路島)での事でした

このヒヨルコとヒルコヒメが一緒くたになってしまって、ヒルコヒメの存在がなくなってしまいました

 何故ヒヨルコになってしまったのかを先代のアメ(オモタルさん)に告げて対応をききました

そうしましたところ、「フトマニ」に照らして導いてくださいました

「ヰ・ヨ(5・4)のウタだから、コト(願い)を結ばなかったのでした」

5・4調のウタですと、『フトマニ』5・4の「も・ちり」の項目になって、生じるものがチリチリになってしまうから、5・7調にして「も・えて」となり、生じるものが得られるように変更しました

 

また、コトアケの順番も良くなかったようです(一日の巡りも、ヒが出て来て、後にニシに沈んでいきます ハルのヲが先で、エネルギーをいっぱい貯めたメは後になって重くて降るからです)

メが先にコトアケするのは良くないのです

ト・ツキとは

単に男女が一緒になるだけではありません 「ト・ツキ(集まり固まることに尽き付く」とは、目的の共有という事に意味が込められています

ヲシテ文字のトをイメージすると、よく分かります

子音の『Y』の形状は、上から来た・あるいは過去や現状のものを合わせる働きを意味しています つまり、協力の事です 母音の口の形状は『ハニ』の意味の固める作用です

 

 また、初めの言上げの順番を変更して男性からすることにしました

ヒ(日)はヒカシ(東)から昇ります 季節はハル(春)に萌(きざ)します

 共にヲ(男性)に相当しますから、初めにコトアケ(言明け、言上げ)するのはヲ(男性)からとしました

 

その様に改めまして、また新たにナカハシラをキタ(着た、北)から巡ったのです

ヲはヒタリ(日の立ち上がり)から巡ります メはミキ(身に成り来る)巡りまして

会うミナミでウタいます 天地の巡りの5・7調の12音1行のアメのアワウタです

 

「あなにゑや うましおとめに あいぬ」とイサナギさんが歌います

次にイサナミさんが答えます

「わなにやし うましおとこに あひき」と

 

15音韻のおウタは、お互いに応答します 二首のおウタの応答で、合わせて、30音韻になります 30という数字は、月の日にちの数にもなぞられていて「ツキウタ」とも呼ばれています

深い意味合いが込められた名歌でした 

 

それは、単なる数合わせの意味だけではなくて、大宇宙の創生から、私たちのいまのこの現時点の展開へのつながりにも、実に深い関連を見据えているからです

 

つまり、今のこの現在のこの時間の最中も、むかしの大宇宙の草創期の初の時期も、じつのところは同じだという事をご提示になられています 大宇宙のフラクタル(相似形)が小宇宙たる私たちなのですから

 

おふたりは、フタ・カミとして、柔らかな間柄にしてアワ(アワウタ、国家全体)は、すなわち、物事を生じさせるハラのヱナ(得ること)として、国家の再建に取り組んで行かれます

国家再建は四国のイヨ(伊予)やアワ(阿波)のフタナ(二つの名称)にも、安定が及び、遠くオキミツコ(隠岐の島)にも、サト(佐渡島)やウシマ(大島)にまでも国家再建は及びました さらに、木を焼いた後の灰をカヤノ(原野)に肥料として施しますとノツチ(土壌の地力)も表れ出でて農作物も多く収穫できるようになりました

このような長い年月の地道な改良の営みをかけての土地改良を企画できるになったのも

アワウタを広めて国語力の向上が齎されたからでした

 

フタ・カミは国家再建の基礎の構築も終えて、形を成しつつあるのですが、未だに世継ぎのミコに恵まれていませんでした

 

イサナギさんイサナミさんは「すてにヤシマのクニうみて(全国の国家再建を果たして)いかんそキミ(次代を担うミコ)を産まん」と祈念なさいますのでした

 

その時、フタカミはアワウタを教え広めつつハラミのミヤ(富士山麓)におわしました そして、愈々ヒのカミ(アマテルカミ)をもうけられたのでした そのミナ(ミツの麗しいお名前)をウホヒルギと、また、アマテラス・ヲホンカミとも讃えるのでした

 

お世継ぎのカミ(指導者)がお生まれになってクニ(国家)は麗しく「トのヲシテ」に照り通るのでした

クシヒルのコはトのヲシテの教育のためにと召すと、トヨケカミからの招きの許に、手元の養育からアメ(天が下、トヨケカミの許に)に送って高度教育を施すことになりました ミハシラのミチ(王道教育)を奉ります

タマキネ(トヨケカミ)はワカヒトとイミナ(本名、イの生じてきて成る名前)を考えて捧げました

 

それから、フタカミはツクシ(筑紫、九州)に行かれまして次男のミコ(皇子)をもうけられます 次男のミコはツキヨミさんと呼ばれます ツキヨミさんも兄のワカヒト(アマテルカミ)さんに次ぐべしとして、アメ(東北地方のトヨケカミの許)に送り教育を受けさせます

以前に長女のワカヒメ(ヒルコヒメ)が生まれて、カナサキ(スミヨシ)さんに育ててもらっていました ワカヒメさんも立派に成長しました 成長したワカヒメさんが戻ってきて、アマテルカミの妹として家族に復帰することになり、ワカヒルメさんとよばれます

 

さらに、フタカミはソサ(和歌山、熊野など紀南地方)に至りまして、ソサノヲ(ハナキネ)が生まれました ソサノヲは常にオタケヒ(大声で叫ぶ)泣き喚いてイサチる子供でした クニタミ(一般国民)に迷惑ばかりをかけます ケガレる時に孕んだ子は、マエ・ウシロ(裏表)があるものだと、イサナミさんは自責の念に駆られておられました そこで、世の中にクマ(社会的不安)を為すのは、自分のヲヱ(身から出た病)であるからとタミのヲヱ・クマ(身に見える病や被害・目には見えにくい病や障害)を見に受けて守るのだと、クマノミヤを建てて籠られました 

それが、今に伝わる熊野本宮大社です ヲヱ・クマからクマノの名称が由来していました

 

こうして、ミココロを尽くして1女3男のミコをもうけられましたのでした

世の中に安定を齎(もたら)しキミ・トミのミチを明らかになさいました 

また、 「トのヲシエ」を新たに堅持なさいまして、その守りに逆らって悖る者にはホコ(サカホコ)を以て滅ぼす(罰する)ミチを示されました

 

で、最初の不思議であった1+3が4であるのに、トノ(産所)が5個所であるという疑問の答えがわかりました

 

アマのハラミ(富士山麓、アマテルカミ)、ツハヤマ(筑波山、ワカヒメ)、アハヂ(淡路島、流産のヒヨルコ)、ツキスミ(九州、江田神社 ツキヨミ)、クマノ(熊野、ソサノヲ)の五か所です

 

ツワモノヌシは、また重ねて尋ねるのでした

「トリヰ(鳥居)の二本のハシラにフタカミを比べ準えるのはどの様な意図がこめられているのでしょうか?」

 

カナサキのヲキナは答えます

「タマはタテ(経て、縦)のハシラでして、ヌキ(貫き)もウルホス(潤す)恵の意味です もう一つのタテのハシラはホコ(後のツルギ)でしてヨコマ(邪な悪人)を滅ぼす役目です フタハシラの並び立ってこそ社会の行き来にも安寧が齎されるのです トリヰはトリ(鶏)の居場所でして、タミに困窮がないかどうかを告げさせるための見張り台です 自然神のヤマサのカミが知るから、トリの告げる所となるのです それで、ユキキ・トリヰのフタカミと呼ばれるのでした」

 

だから、内宮にも熱田神宮でも鶏がいるのですね~ 納得です!!!

この後、『ミカサフミ』新発見のアヤ 「ツキウタ」に関して

の説明がなされてのですが、僕にはまだちょっと難しすぎて理解できませんでした

もう少し勉強をしてから書きたいと思います

 

最後にとても大切なことを言います

人は大宇宙の分霊、小宇宙、島宇宙とも言われます

守られていない人は誰一人としていないのです

このことは、ヒーラーの人も言っていることなのです

 

このことからでも、我が國日本の高貴さがわかるものなのです

 

因みに、カップルのお互いのフォローのあり方で、日本の場合は庇いあう事が基本です

それは正月の遊びの羽子板、平安時代の蹴鞠にも現れています

続けることが大切な事であって相手が打ちやすい所に返すのが、上手いとされています

 

西洋テニスなどとは逆の発想です

 

そして、先生一緒にヲシテ文字で皆で朗誦して終わりです

数枚あります

 

最後までお読みいただきありがとうございます

 

また、よろしかったらクリックして読んでみてください

 

『ホツマツタヱ』を読み解く―日本の古代文字が語る縄文時代

よみがえる縄文時代イサナギ・イサナミのこころ―新発見『ミカサフミ ワカウタノアヤ』アマテルカミが解き明かす

 

 

 

 

 

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