8月22日から24日にかけて、日本建国の地を探す旅に出かけました
ヲシテ文献(ホツマツタヱ、ミカサフミ、カクミハタ)に書かれている処に依れば、日本建国の地は「ヲウミ」とされており、ヲシテ文献に記載されている土地や神社、磐座、島を訪れ建国の地の姿とそこでお役目を果たされたアマカミやトミの姿を思い起こし、日本人としてのアイデンティティを取り戻せたら良いとの思いで旅に参加させていただきました
第一日目22日、JR安曇川駅10時集合でヲウミの旅は始まります
まずは、近江の聖人「中江藤樹」記念館にあるホツマツタヱ写本見学をいたしました
「ホツマツタヱ」最古の写本があることが判明し、見学しました
ヲシテ文献そのものが発見されているのもヲウミのタカシマの地からのものが多いのです 「ホツマツタヱ」だけが全アヤが発見されており、現在最も古い、和仁估安聡が写本があります
安永四年(1775年)に書かれた「ヤストシ本」が残されています
天地人に分かれています
モトアケ(フトマニ)の図
近江の聖人と呼ばれる中江藤樹の遺品、作品も見学し二時間くらいのコースです
陽明学者で中々の偉人で、学ぶべきことが多いと思います 機会があれば紹介したいと思います
昼食時、平岡憲人先生の『まとかるヲウミの旅 建国の地をめぐって』と題して、短い講演がありました 左側が平岡先生でその隣が今回の旅の世話役人をされた重藤先生です
日本はどこから始まったか? 通説では古事記日本書紀によれば、建国の地(天孫降臨の地)は九州の高千穂峰、その後、ニニキネ、ホノアカリ、ウガヤの三代は九州で政治をされ、四代目に当たる神武天皇が東遷して奈良盆地の橿原の地で即位された という事になっています
ところが、ヲシテ文献の再発見により、九州以外の地域の歴史、ニニキネ以前の歴史が復興します
ヲシテ文献を再発見されたのは、「現代用語の基礎知識」の編集長の松本善之助(まつもとよしのすけ)先生が発見されました 神田古書店で『ホツマツタヱ』三アヤ分(小笠原長武、奉呈本)を発見
昭和42年 四国宇和島の小笠原長種宅で『ホツマツタヱ』『フトマニ』
小笠原長恭宅で『ホツマツタヱ』40アヤを発見
昭和48年 滋賀県高島市の野々村直大宅で『ミカサフミ』9アヤ分と『フトマニ』の異本を入手 今回、野々村様が藤樹記念館でホツマツタヱ写本の説明してくださいました
龍谷大学図書館にて『朝日神紀』 『トシウチニナスコトノアヤ』発見
平成4年 滋賀県高島市安曇川町西万木の井保孝夫から連絡あり、日吉神社の蔵から『秀眞政傳紀』(和仁估安聰自筆漢訳付)全40アヤ発見
平成24年 山梨県河口湖の本庄元直宅で『アワウタノアヤ』発見
ヲシテ文献の基礎知識...五七調の長歌体の古文書で記紀の原書
発見済みの文書は13万文字 最古のものは江戸時代の写本
ヲシテという文字で書かれた古文書 アイウエオの発音で、文字が発音の口の形になっている 仮名に相当する48文字ある
ヲシテ文字について説明しております拙ブログ参照なさってください
字形で意味・文法と音を同時に表現している 非常にシンプルな字形でありますが、自然のいとなみから生まれたものではないかと思われるくらい日本人の肚の底に響くものがあります
ヲシテ文献による建国の地、時期は? 詳細な場所は不明ではありますが、ヲウミが最有力候補であります
ヲウミのどこか?候補地は安曇川・高島、坂本、湖南、湖底?
その時期は、縄文時代の早期(9000年前)早期後葉(6300年前)前期前葉か
今回の訪問地は、高島・安曇川・岳山・マキノ・葛籠尾崎湖底遺跡・竹生島・坂本・湖南です
その意図は、実際にどこで建国され、その後どう発展して行ったのか?
ヲシテ文献と神社・考古学・地学が矛盾なく説明できるのか?
そして、ヲウミを感じて、縄文、弥生の建国時代に立ち返ることであります
ヲウミというと今は近江という漢字を当て嵌めますが、央海(をうみ)とすればつまり日本の中央位置するところではないかという意味も考えられます
それでは、すでに分かっている事から見ていきましょう
カミヨの6代目「オモタル・カシコネ」のキミの時代 安曇川下流域を中心として政治を行われた 与呂木神社、日吉神社、鴨稲荷山古墳、長田神社あたりか?
カミヨの7代目「イサナギ・イサナミ」のキミ
比叡山坂本の日吉神社において即位されました 湖東の多賀大社を仙洞御所とされました
日吉大社が、さらに昔の事績を踏まえて再興されたものなら、こちらもより古い政治の場ではないか?
これらを踏まえて仮説を立ててみました
仮説
では、初代クニトコタチはどこで建国されたのでしょうか? 高島・安曇川流域の位置づけは?
仮説2 高島・安曇川流域は縄文時代に重要でなかった(考古学から)
仮説3 中心地とは別の重要性が高島・安曇川流域にはあったのではないか?(平岡先生)
ヒント 猿田彦(ニニキネの天孫降臨時に案内役を務めた)にかかわる4つの場所
三尾神社…猿田彦の天城神道の拠点として後世まで栄えます 長田神社を拝むところ
大炊神社…猿田彦がニニキネを待ち構えた所
いずれかが、クニトコタチ建国の地かもしれません
カミヨの建国に遡り高島・安曇川流との関りを
建国当時(1.クニトコタチ2.トホカミエヒタメ/クニサツチ)
当時の高島の名
トコヨ・ヲウミ・アツミ・アシツミ
建国の地の候補
その他
シマツヒコによる船(イカダ)の発明(朽木)
カモフネ、ワニフネの発明もこのころか?
4.ウビチニ・スビチニ 5.オオトノチ・オオトマエ
当時の高島の名
ササナミ・ヰノクチ 今津にある酒波寺(さなみ)、井ノ口
御座所
マキノにある 大処・大前神社?
ヒタカミや関東平野が大発展
オキツヒコによる船(カモフネ)の発明(朽木)
シガノカミによるワニフネの発明(朽木)
6.オモタル・カシコネ 7.イサナギ・イサナミ
当時の高島の名
ヲウミ・アツミ
建国の場の候補
アツミ川のナカハシラ=水田耕作の全国展開の拠点
与呂木神社、青柳の日吉大社
鴨稲荷山古墳、長田神社
川や湖の近くが水田化、タガ・ヤスにも拠点
イサナギ・イサナミは、オキツホ(比叡山坂本の日吉大社)にて即位
気候変動で人口減少
8.アマテル 9.オシホミミ
アマテルの三つ子(タケコ・タキコ・タナコ)
御座所
アマテル・・・ハラミ、ヒタカミ、ミヤヅ、イサワ(イセ)
イサナギ・イサナミ・・・タガを御座所に、イサナギはタガで祀られる
オモイカネ・ワカヒメ・・・ヤス
オシホミミ・・・タガ、そこからヒタカミへ
10.ニニキネ
サルタヒコの國譲り
ニニキネの技術・・・井堰・用水路で川から遠い所も水田化
オオタ・ミシマ(クマノ・ヨロギを田にせんと=開拓)
サルタヒコが国を譲り「オトタマ川の シラスナに 昼寝しておる」
「ウカワ仮屋に みあえして」
「サルタして ダケのイワクラ おしはなち」
その後、ニニキネ(白髭神社)とクシヒコ(ヨロギ)が治める
全国の水田開発が成る
その後
11.ホオデミ 12.ウガヤフキアワセズ
ウカワミヤ(シラヒゲ)
湖南中心に宮ができる(ミヅホミヤ、̪シノミヤ=天孫神社)
ホムシハライ(タナカ、カセフのマツリ)
イワツクワケ(アメナルミチを学ばれる)、三尾氏の祖
垂仁天皇の第一皇子の磐衝別命(イワツクワケのミコト)が三尾に来て、猿田彦を三尾の神として祭り、神戸を寄付
人皇15.応神天皇の第十一皇子速総別王(はやぶさわけのみこ)が天政神道を学ぶため拝戸に来往
速総別王の四世の孫彦主人王(ひこうおうしのおう)は磐衝別王の五世の孫振姫(ふりひめ)を迎えて妃とし、
振姫は三尾神社を産所とし天迹部王(あまあとべ)(26.継体天皇)、男迹部王(おとあとべ)、太迹部王(おおどのおう)の三つ児をご出産なさった
高島・マキノのまとめ
ミオ・ナガタ・シラヒゲ・岳山…クニトコタチ建国の地?
サルタヒコ・ニニキネの國譲り
アメナルミチを学ぶ場、居住地は湖底にある?
ササナミ・ヰノクチ・・・ウビチニ?オトノチ・オオトマエ?スクナミカミ
ヨロギ・・・オモタル・カシコネのナカハシラ、ニニキネによる新田開発
クシヒコによる薬草園、日吉神社(青柳)、鴨稲荷山古墳?
クマノ・・・イサナミの追慕の地?ニニキネによる新田開発
オオタ・ミシマ・・・ニニキネによる新田開発
タナカ・・・ホムシハラヒの地、三尾氏、継体天皇の生誕地
以上の事を踏まえて、愈々建国の地の候補地を訪れます
とは言っても、神社は近くにあるみたいだし...
でも、岳山登頂は大変そうです 僕はヘタレなので竹生島クルーズコースを選びました
選択できるのです
本来の日本の姿である縄文時代に思いを馳せて・・・
まず、最初に訪れたのは日吉神社(西万木)(にしゆるぎ)です
秀眞政傳紀(和仁估安聰自筆漢訳付)全40アヤ発見された庫です
今回訪れた神社にはこのような舞台が設置されています
次は、長田神社です
やや、右側の白く見えるのが今回登る岳山です 白い所はシラスナです
この平らな石から遙拝することができます
三尾神社に到着・・・
巨石 オーパーツ どうやってこのような巨石を運び設置したのだろう?
見事な日本庭園です
この神社をお守りされている御婆さんがご厚意で山車を見せてくれました
葵の御紋です
こんな煌びやか山車はもう作れないかも...
阿吽の狛犬
この池は琵琶湖を見立てているそうです
御朱印をいただきました
田んぼの中にある与呂木神社です
大相撲の横綱が締める注連縄みたい このことからも相撲は神事なのです
日吉神社(青柳)です
そして、宿に行き風呂に入って食事して、20時から池田先生のセミナーです
テーマは、『ホツマツタヱ』1アヤ キツのナとホムシさるアヤ
池田先生自筆の掛け軸・・・ダケノイワクラ
先生、お疲れ様でした❣ ありがとうございます
こうしてお天気にも恵まれて充実したヲウミの旅一日目が終了しました
最後までお読みいただきありがとうございます