癒しの杜

美しい日本を取り戻す 随神の道 子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

第51回京都 ヲシテ講習会 報告

武漢発祥新型コロナウィルスの影響は、ヲシテ講習会にもおよび、今回から池田先生のご自宅からウェビナー発信Zoom講習会になりました

資料も良く見えたし、先生のお声も聞き取りやすく、上手く行ったと思います

後で、資料と当日の講義の模様もDVDに焼いてくださり復習も出来ます

 

池田先生、ありがとうございます

 

では、本題に入ります

 『ミカサフミハルミヤのアヤ』

ミカサフミの5アヤ目には、アマテルカミの皇太子のお定めになられるまでのことが説明されます

そして、何故「ハルミヤ」と皇太子の事を表現するのか、そのおこころも明確に説明されます 我が國の素晴らしい國柄がここに明らかになります

アマテルカミのお心だったのです

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アマテルのキミは、コヱ・ヤスクニのミヤ、今の富士山南麓にておわしましました

富士浅間神社の位置であったかどうかは、未詳です

噴火などの天変地異で、神社の位置は変遷を経てきていることが多いからです

8代目のアマキミのアマテルカミが、富士山南麓にミヤコを定められました理由は、2代目クニサツチのトノミコトの長寿にあやかるためでした

トノミコトはクワ(桑)の樹を長寿に役立てて「コヱのミチ(蚕の潤いを得る)」に拠って元気な長命を実現しました

*1

人々の希望もあって、トノミコトのミヤの故地のトシタミヤの地(富士山南麓 「ヲヲヒヤマ サのトシタミヤ」)にてミヤを開かれたのでした

「コヱ・ヤスクニのミヤ」と呼ばれるのは、「コヱのミチ」縁があるためでした

「コヱのミチ」蚕が食べている桑の木で長寿を得るミチの事です

 

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2代目クニサツチのトノミコトは、弟でした

初代クニトコタチさんの後を受け継いだのは長男のヱのミコトでした

ヱノミコトは、ヲウミ(琵琶湖湖岸地方)を治めます

 その後に兄のヱのミコトの後継には、弟のトノミコトが選ばれました

この後は、ヱの家とトの家で代わる代わるに皇位に就いたと伝えられます

2代目のアマカミにお就きになられたトノミコトは、長寿でモ・ハカリ(100×10万)を治められました

*2

崩御の際にはハラミ(富士山)の山中のホラ(洞窟)にお入りになられました

そして、生まれる以前のモトアケ(原初の宇宙)にお帰りになられたのでした

ミヲヤ(次代のアマカミ)はコトノリをなさいまして、ホシ(星)に準えて(なぞらえて)お祭りするのでした キタホシ(北極星)の周りを廻る8星にト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メのクニサツチの各々のミコカミのお祭りとしたのでした コ(9)星とは、キタホシとト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの8星を合わせての呼び名です

 

ハラミのミヤにて長く治めておられたある日の事でした

アマテルカミの許に、ミヤツ(現、京都府宮津)からハヤ・キシ(急ぎの雉の使者)が到着しました アマテルカミの祖父(イサナミさんの父)のトヨケカミ(タマキネ)が、ご高齢でご寿命が尽きようしつつあるとの知らせでした アマテルカミは、ミヤツに急いでお行きになられます トヨケカミはすでに、ご墓所と定められたマナヰにおわしました トヨケカミは、孫のアマテルカミに仰います

 

「昔、ミチのク(奥義)を悉くにまで教え授けるには至らなかった。ココ(固まり固まり、亡くなる事の際)に時を待っていたのでした」

そう、仰いましてトヨケカミはミチのク(奥義)をアマテルカミに授けられました

また、集まる諸臣に向けて仰いますのでした

「モロカミ(諸臣)達も良く聞いておいてください キミ(アマテル)は幾世にも稀有の優れたミヲヤ(アマカミ)です キミの仰います事はクニトコタチさんのミコトノリだと思ってください」

 

そうした後に、マナヰの山中のホラ(洞窟)を閉ざして、お亡くりになられるのでした

その上に、アサヒミヤを建てて奉ります マナヰは、今の京都府京丹後市の峰山の久次山でして、比沼眞井神社が『延喜式』にも記載されています

 

ウチミヤ(正皇后)のムカツヒメ(ホノコさま)は、トヨケカミをタカミ(ヒタカミ)にもお祭りなさいました 

 

アマテルカミの許に、ネ(根・北)のおキサキさんを派遣することになさいました

ネのスケ・キサキのモチコさんと、ネのウチ・キサキのハヤコさん、ネのオシモメのアチコさんのお三方は、急いでマナヰのハラ(一時のミヤ処)のミヤ仕えに行くように手配なさいました

 

ウツキ(旧暦4月)のモチ(満月)の日の事でした

のちに、ヒワヒコ(ヒのハヤヒコ)にミコトノリされました

「ナンチ(汝)クニ・ヱをうつすへし」

つまり、アマテルカミは、ミヤコを遷すために候補地を選考して欲しい ついては、ヱ(絵)に写して報告をするようにとご指示なさったのでした

ヒワヒコは、『延喜式』に同社坐斐伊波夜比古神社としても記載があり、今は島根県雲南市木次町里方の斐伊神社に合殿で祭られています

ヒのハヤヒコは、ヤマト(東海道諸国)を巡って候補地を絵にしました

その中からアマテルカミのお選びになられたのは、南に位置する場所でした

クニのサ(南)に、ミヤコを遷すのは、ヤタミ(全国民)にウ・ウク(更なる豊かさ潤いを享けさせてゆく)ための計らいでした

 

遷都の候補地はイサワに決まりまして、オモイカネ(アチヒコ)に新ミヤコの造営が任されました

新築のイサワ(志摩市磯部町上之郷、伊雑宮)のミヤに、8代アマキミのアマテルカミはお遷りになります

因みにオモイカネはコヨミ(暦)の太陰太陽暦を精度を上げて作り直した技術者です

立派なミヤコが造られたと想像されます

 

伊雑宮は僕の住んでいる伊勢から車だと伊勢道路を通って行きます

途中の長いトンネルを抜けると途端に景色と温度が変わります

パッと明るくなり光が差してくるのです 伊雑宮に着くと鼻の良い人は潮の香りがかげるそうです

当に太陽神であるアマテルカミ二相応しいおミヤだと思います

おいでになっていない方は、是非訪れてほしいお宮です

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閑話休題

アマテルカミは、完成したイサワのミヤ(伊雑宮)に遷都なさいまして、温暖な土地におわしますのでした

すると、正皇后のムカツヒメ(ホノコさま)がご懐妊なさいまして、フチオカ・アナのオシホヰ(今の外宮の少し山手)のウフヤ(産屋)にて、トヨケカミから授かったミミ(ミミのハ、出産の無事を祈るノト)によって無事にオシホミのミコが誕生しました

オシヒトさんと、イミナ(本名、真こと名)を命名して、人々にも披露なさいました

*3

 

丁度カミアリ(10月、カンナツキ)でしたので、モチヰ(しとぎ餅)を配り撒きましてタミ(國民)も大いに歌い楽しみました

 

さて、オシホミミさんのご誕生の前に、お生まれのミコ達が居られました

ネのスケ・キサキのモチコさまは、ご長男のホヒのミコト(タナヒト)をお産みになりました

ネのウチ・キサキのハヤコさまは、三つ子のヒメミコ(皇女)をお産みになられました

長女のタケコ(オキツシマヒメ)、次女タキコ(ヱツノシマヒメ)、三女のタナコ(イチキシマヒメ)です

 

 そして、オシホミミさまのお生まれの後に、また、他のおキサキさまにミコがお生まれになります

ツ(西)のスケ・キサキのアキコ(ハヤアキツヒメ)さまがお産みのミコはアマツヒコネ(タタキネ)さんです

キ(東)のスケ・キサキのミチコ(オオミヤ)さまのお産みになられたミコは、イキツヒコネ(ハラキネ)さんです

初めツ(西)のオシモメだったトヨヒメ(アヤコ)さまは、ネのウチ・キサキになられてから、クマノクスヒ(ヌカタタ)をお産みになりました

モチコさま、ハヤコさまのウサ(宇佐神宮)へ蟄居の事件のあっての後の事です

 

*4

 

こうして、アマテルカミは5人のミコ(皇子)と3人のヒメミコ(皇女)を儲けられました

イサワのミヤ(皇居)のサ(南)のトノにタチハナ(カク、日本固有種のタチハナ)を植えられまして、カク(植物の名称、タチハナと同意に用いられる)のミヤと呼ぶようになさいました

また、キ(東)にはサクラを植える事になさいましてウオチミヤと呼ぶのでした

サクラは、ホノコさまの父のサクラウシ(オオヤマスミ)の献上に拠って植えたのでした

*5

 

アマテルカミは、おん親(みず)からマツリ(政治)をお執りになり聞し召されました

それ故、普く(あまね)タミ(國民)も豊かになるのでした

 

アマテルカミは、オシヒト(オシホミミ)さんをハルミヤ(東宮、皇太子)と為されました

ハルミヤの意味は、イキ・イクのハル・ココロに拠ってタミ(民)を愛(いつく)しむミヲヤ(天皇陛下)になっていってもらいたいとの願いを込めたものでした

 

長文最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

*1:コヱ:今の東海道諸国はひとつのクニとしてコヱクニと呼ばれていた

*2:モ・ハカリ:数詞には多くの場、ヲシテ文字にハネがつけられます これを数詞ハネと呼んでいます 万の上の位として10万の位があってマスとかハカリという言葉で10万の位を表していました

*3:ミミ:耳の事でもあるが、さらに人が赤ん坊となって生まれ出でるまでの災いを除く方法を記したフミ(文献)をミミのハといった これにより、ミミの語にはヒト(人)の生命誕生の意がある

*4:ホノコさまがアマテルカミの正皇后になったことで、他のキサキから嫉妬うけます その中でもモチコ、ハヤコは強烈に妬みアマテルカミに対するクーデター計画に荷担してきます そのクーデター計画がバレてモチコ、ハヤコは九州のウサ(宇佐)へと追放謹慎の処分が下されるのです

*5:カクノキは国内の祭り事の是非、サクラはイセノミチ(夫婦の仲)の良し悪しを映すモノザネとされた 漢字文献時代になって、左近の桜・右近の橘と記される源流であります