癒しの杜

美しい日本を取り戻す 随神の道 子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

第50回京都ヲシテ講習会 報告

3月21日(土) 京都明覺寺 会議室 13:00~16:00

この日は、京都も暖かく山櫻も咲いていたそうです

 

コロナウィルス騒動で開催が危ぶまれましたが、池田先生が色んなことを考慮され、出来うる限りの対策をこうじまして、開催することが出来ました。

早ご飯時、池田先生がウィルス対策として板蘭根茶を持って来てくださりました 

とっても香ばしくて美味しゅうございました

 

そして、今回はコロナ対策としてWeb中継Zoomを使っての講義の模様を見れるようにしてくださいました

 

さて、講義の模様の報告に入ります

池田先生は、17歳の時から『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』などヲシテ文献の研究に入られたそうです 50年も研究し続けられています だから、アマテルカミのお声をお聞きするように感じられるのだと思います

 

先生はどこに行っても「やさしいね」と言われるそうです 僕もそう思います

先生が言うには、アマテルカミのおこころに若い頃からずーっと接してきたからだと。

アマテルカミの思考回路をそのままに受け継いだのではないか?と思ったりするそうです

皆が皆、アマテルカミの御心に沿うようになれば、我が國日本はもっと素晴らしく反映するのだと思います

 

今回の講義のテーマです 『ミカサフミ 4アヤ目』

コヱ・ソフ(12)のキサキたつ アヤ

 

ミカサ(春日大社k、若宮)のハ(土地)にモモトミ(多くの指導者)が集まり、シメクニ(国家の枢要)のマツリ(何がマコトか?)をタタシ(タ(春)を足し(プラスする))ての講義を聞きたいとの皆の思いが有ったからでした

 

サルタヒコが代表して質問します

コヱのクニ(富士山の見える東海道諸国)は、ヒ(日)の出のクニだとよく言われます

でも、その意味合いがよく解りません どういう事で、ヒ(日)の出なのでしょうか?

 

 それに、アマノコヤネが答えるのでした

 

その前に、現代人がよく解っていない事、ハラのミヤは何処なのかを押さえます

富士山及び富士山南麓のミヤの名称。七代アマカミのイサナギ・イサナミがこのミヤにて継ぎ子となるアマテルを孕み得た事からハラのミヤと呼ばれるようになったと推察されます

古くはトシタミヤと呼ばれていました

 

コヤネさんの説明です

スクナヒコ(スクナヒコナ)からヲオナムチに伝えられました スクナヒコからの伝えは、トヨケカミ(外宮さんのトヨウケカミのこと)タカミムスヒ5代目は教えておられまして、タカミムスヒのヤソキネ(6代カンミムスヒ)や、チヰモ(1500)の子等へ仰いました

外宮の 御祭神、豊受大神天照大御神の食を司る神様だと言われていますが、とんでもない事です。アマテルカミのおじい様(祖父)にあたるのです

 

クニサツチノトの命は、とても長生きをした事が知られています コヱのミチと呼ばれるトのミコトの長生きの方法は、クワ(桑)を特に重用したやり方でした

ミ(身体)を健康に保って長ら得(ながらえ、長寿)を実現するのです

コ(蚕、カイコ)を飼う方法とも相通じるのは、道理に適っているからかも知れません

蚕は桑の葉だけを食べて、あんな綺麗な糸を出すのです それならば、人も桑を常食すればミのまったき(健康)を維持することが出来るのでは…という事になります

 

桑の木は樹盛がとても盛んな樹木で、枝葉を広く広く広げます

枝の根も三つ又に分かれて、12の穂末(ほつえ)が生じます これは、一年のヒの巡りにも通じます 365日のヒの巡りは、ハル(春)やアキ(秋)など四季に分かれます

四季の其々は、また、三つの月に相当します 4×3=12です 桑の根も同じく12に分かれています 月の巡りも一年に12回同じ星の位置に巡り会います

12ケ月は一年の巡りです

トのミコトののアマカミは、クワの根をを用いてミ(身体)特にシシ(肉体)から巡りを整えられました。シシをサメさせて健康維持を図るのです

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牧野和漢薬草大図鑑

このように、クワを薬用にして長寿を得てヨヨ(この世、良い世)に楽しんで長生きの寿命が尽きたら、また、タマの故郷のアモト(宇宙の中心)に帰って行きます

ココロ(タマ)はアメ(アモト)に帰って、また、再びこの世に戻って来てヒトに生まれます。幾度も幾度もこの世に生まれ楽しむのですから、人の生まれは、さも、日の出と同じなのですねぇ ヒトのマカル(亡くなること)の入る日(日没)と同じようなものなのです 

これがコヱのミチの考え方なのです。

コヱのミチを知って、人の生まれは日の出だという事がよく解ります

 

さて、ヤヨイ(三月)の一日(朔日、朔の日)に、アメミコのアマテルカミは、ヒタカミからお遷りになります(この日を建国記念日とすべきという意見もあります 新暦で言うと3月24日 訳は日付がはっきりしていることと、中興の祖と言われるアマテルカミが遷都された記念すべき日であるという事)

フタカミ(7代イサナギ、イサナミ)からの詔に拠りましてヰメ(お后さんのこと)が定められました それまでには無かった12キサキの事でした

12のおキサキさんは、一年の其々の月の12ケ月に当ててゆく方式でした

季節と方角、日本の全国を普く治める意図が込められていたのでした。

クワの12に分かれて繁茂する様も写したわけです コヱのミチのゆかり(由緒)にも沿ったお考えです

 

5代タカミムスヒのトヨケカミとカンミムスヒ(6代目タカミムスヒ)のヤソキネが諸臣と図って決めました。

キツサネ(東西南北)のそれぞれに三段階のキサキののスケ、、ウチ、オシモのおキサキさんをお定めになられました

ネ・北

スケ マスヒメ・モチコ(イサナギの弟のクラキネの娘、北陸金沢、額東神社が由緒地か?)

ウチ コマスヒメ・ハヤコ(イサナギの弟のクラキネの娘、北陸金沢、額東神社が由緒地か?)

オシモメ アチコ、アヂコ(ウケモチの子孫のカタの娘、京都伏見、伏見稲荷神社)

キ・ヒカシ、東

スケ オオミヤ・ミチコ(カンミムスヒの娘、ヒタカミの本貫地)

ウチ タナハタ・コタエ (カンミムスヒの娘、ヒタカミの本貫地)

オシモ ソガヒメ(ツクハ・ハヤマの娘、千葉市中央区蘇我町、千葉県蘇賀比咩神社(ソガヒメ))

サ・ミナミ、南

スケ セオリツ・ホノコ(オオヤマスミ・サクラウチの娘、静岡県三島市大宮町、三島大社)セオリツヒメのスナオ(純真さ、素直)な事でさらに持てるミヤヒ(他人を思いやる気持ち)の麗しさにアマテルカミは人生の伴侶を得たとの思いに至ったのでした

アマテルカミの正皇后さまに向かい入れられました

 ウチ ワカヒメ・ハナコオオヤマスミ・サクラウチの娘、静岡県三島市大宮町、三島大社

オシモ イロノヱ・アサコ(カスヤの娘、九州出身、福岡県筑紫野市原田 筑紫神社が由緒地か?)

ツ、西

スケ ハヤアキツ・アキコ(スミヨシ・カナサキの娘、堺市開口神社(あぐじ)が由緒地か?)アクチ神社、アキコ神社でも良いのでは?

シホのヤモアヒコ(船上で産まれたか?)

ウチ オリハタ・オサコ(ムナカタの娘、福岡県宗像市田島、宗像大社、及び、福岡県宗像郡津屋崎町勝浦、織幡神社)

オシモ トヨヒメ・アヤコ(ムナカタの娘、福岡県宗像市田島、宗像大社

後にネのウチ・キサキ

 

サのスケ・キサキ(セオリツヒメ)の後任 ウリフヒメ・ナガコ(カナヤマヒコの娘、岐阜県不破郡垂井町宮代、南宮大社(仲山金山彦神社)

アマテルカミがホノコさん(セオリツヒメ)をキサハシ(階段)を踏み降って行って手さづさえてホノコヒメを上段のウチミヤに迎え入れたのでそのポストのサのスケ・キサキにカナヤマヒコのウリフヒメのナガコ様がお入りになりました

これが、三年に一度に訪れる閏月のゆかり(由緒)になりました(一年が十三月あります)

今年は五月に閏月があります

 

おキサキさんは、月によっての参内をして、アメミコのアマテルカミはアマヒの位に就いてマツリ(政治)をお執りになるのでした ヒノヤマ(オオヒのヤマ、富士山)の名称もオホヤマ、あるいはオホ・ヤマ・トと尊んで呼ばれます

この故に、国家全体の呼び名もオホ・ヤマトになりました

ヒタカミの直接統治もアマテルカミがなさいます事になりました

それで、トシタミヤの新興のハラミのミヤはヤスクニのミヤとも尊んで呼ばれます

 

こうして、12キサキの揃えられて国政に望まれるのでした そこで、アマテルカミはコヱクニのキミとも讃えられたのです

 

質問をしたサルタヒコも、モモ(100人)のツカサ(モモトミ)達も、日の出のゆかりを得た素晴らしいカ(日)であったのでした

 

今でも、耳にする言葉は、アマテルカミの時代の大和言葉であったのです

この時代の文化の高さ、奥深さ、に改めて驚かされました

だから、アマテルカミは尊いのです

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

 

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