12月14日から15日にかけて、イシキカイカク(株)代表 神谷さん企画の「長 典男先生の伊勢神宮正式参拝ツアー」に参加してきました 古代史ツアー伊勢編といったところです
行程は、以下の通りです
1日目 14日(月)…熱田神宮➡二見興玉神社➡伊雑宮➡猿田彦神社
ホテルにて懇親会&質問会
2日目 15日(火)…神宮外宮➡内宮➡金剛證寺➡多度大社
ホテルにて懇親会
伊勢出身の私としては、是非知っていなければいけない事柄だと思い、速攻申し込んだ次第です
私が知っていたのは、神宮正式参拝は、二見の夫婦岩がある海で禊をし、外宮→内宮の順番だと思っていたのですが…
なんと、熱田神宮、そのお隣の秋葉大権現から始まるというではありませんか❣
なので、僕は逆行して名古屋に向かいました
因みに秋葉山行くのは当初の予定にはなくて、急遽当日決まりました
いきなりのサプライズです❕
長先生の仰るには、現在の地形で考えては駄目で、昔は熱田神宮辺には海が迫っており、陸より海上交通の方が便利で発達していたのです
熱田神宮を参拝した後、船を出して伊勢の二見に向かったそうです
今回は、船で行くわけにはいかないので、神谷さん運転手でマイクロバスで伊勢へ向かいました
秋葉大権現は火の神様として敬われ、「火防守護」その他七難を除き、除災開運、家内安全、授福繁栄の神様です
詳細は下記URLをご覧ください
何故、秋葉神社なのか?地図で見ると秋葉神社上社と伊勢神宮が一直線に結ばれ(レイライン)、しかも富士山を中心にほぼ等間隔に位置にあるのです(下図参照)
秋葉神社(あきはじんじゃ、あきばじんじゃ)は、日本全国に点在する神社である。神社本庁傘下だけで約400社ある。また、歴史地理学者・米家泰作による2017年(平成29年)の調査では1,129社を数える[1]。
神社以外にも秋葉山として祠や寺院の中で祀られている場合もあるが、殆どの祭神は神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として広く信仰された秋葉大権現(あきはだいごんげん、現在の遠州秋葉山秋葉山本宮秋葉神社と越後栃尾秋葉山の秋葉三尺坊大権現[2]別当常安寺の二大霊山を起源とする)である。一般に秋葉大権現信仰は徳川綱吉の治世以降に全国に広まったとされているが、実際には各地の古くからの神仏信仰や火災・火除けに関する伝説と同化してしまうことが多く、その起源が定かであるものは少ない。
祠の場合は火伏せの神でもあるため、燃えにくい石造りの祠などが見かけられる。小さな祠であることが多く、一つの町内に何箇所も設置されている場合もある
引用終わり
日本最古唯一の秋葉大権現ご出現の霊場で、今より1800年程前日本武尊の妃、宮簀姫(みやずひめ)が三種の神器の一つである草薙剣を奉斎した熱田神宮の境内に日本武尊を火難から救い、我が國平和を守られた秋葉大権現を祀られたのが「秋葉社」の始まりです
なので、神宮は地政学的にも熱田神宮と繋がっておりここが神宮参拝の出発点となるのです
長先生の話はあちこち飛びまくるのですが、三輪山、大神神社が神宮の始まりになります
神仏習合で、神社の中に寺がありまして、設計したのは空海(弘法大師)だったそうです
因みにやまと(地域を現わす)たける(勇者 将軍という意味)で12人いたそうです
地図を見ながら、長先生の説明を受けます
六代目のヤマトタケルノミコトが殺され、バラバラにされ、それを弔ったのが空海だそうです
なので、ヤマトタケルノミコトの怨念を祓うための旅といえます
祟り神なので、中に入って直接見えないように設計されていて(封印)正宮に行くまでは迷路になっています
秋葉大権現圓通寺
丸いのが鰹木(かつおぎ:形が鰹節に似ているので鰹木と呼ばれます。
古代日本の建物が茅葺き屋根、檜皮葺屋根だった時代、茅葺屋根を押さえるための重りでした 鰹木の数が奇数の場合は男神、偶数の場合は女神といわれます
神社建築では社殿の神秘性や威厳を示すための装飾として採用されています 鰹木の数が多いほうがご神徳が高い、神様の位が高いといわれます)
四角いのが千木(ちぎ:神社の建物の屋根に付いてるV字型の出っ張りのこと)
千木の先端が地面と水平になっていれば「内削ぎ」でと言われ、女神が祀られています
先端が地面に垂直になっていれば「外削ぎ」で、男神が祀られています
ヤマトタケルノミコトの首が納められている所 こんもり盛り上がっています
綺麗になるために一心にお祈りしています
正面に対し裏手にも鳥居があり、裏神が祀ってあり、裏参りをしました
表神(おもてかみ)が男神なら、裏神(うらかみ)は女神になって本当は裏神がご祭神と言われますが…
さて、熱田神宮を後にして、東名阪自動車道➡伊勢自動車道のルートで伊勢の二見を目指します
途中、鈴鹿山脈を越えるので天気が不安定になり、小雨も降ってきましたが…所で、鈴鹿の名前の由来は、鈴をつけいた鹿が悪魔祓いをしていた所から名付けられたそうです
伊勢に入ると晴天❕ 流石、晴れ男❓
波しぶきが立っていることからも分かるように、風は強く寒かったです
夫婦岩は、ニギハヤヒの両親であるスサノオとクシナダヒメを現しています
縁結びの神様です 数年前、友達が此処で結婚式を挙げました 画を見てふと、そんなことを思い出しました 厳かで優雅で今も心に残っています
ここで、長先生のトリビアなお話
結婚式の儀式で三々九度の盃を交わしますが、一の盃は別れの盃、育ててもらった両親と交わし飲み干した後、その盃は割ってしまいます
二の盃は、嫁ぐ先の両親とかための盃を交わし、三の盃は契りの盃で、これを神社に納めるそうです
昔の風習はそれぞれ深い意味があります 神様との約束ですから、添いとげなければいけません
遙拝所 お天気が良いと富士山が見えます この先にみそぎ橋が掛かっています
昔は、橋は掛っていなくて船から出て海の水で禊をして、外宮に向かいます
ここで、またまた長先生のトリビアなお話です
鳥居について 古代では山が御神体でありました 年を重ねると山まで行くのが大変なので、それを降ろしたのが神社になります
鳥居は結界をはるもので、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居とあります 一の鳥居は山を見立てたもので、二の鳥居はそれより低いもので、ここに来たら下馬しなければいけません
三の鳥居には注連縄が飾ってあります
それぞれ、微妙に形が異なっています
長先生のお話が終わって、イザ、伊雑宮(いざわのみや いぞうぐう)へ❣
鳥羽の磯部という所にあります
僕が大好きなお宮の一つです
本当の神宮(内宮)であると言われ、女性性の天照大御神が祀られています
明るくて、鼻の利く人は磯の香がわかるそうです 太陽の宮といわれます
因みに、内宮は星の宮、外宮は月の宮だそうです
皇大神宮の別宮で格式が高いお宮です
茅葺のお宮は、出雲系の古い神社に見られます
鰹木は6本であることからも女性性であることがわかります
ちょっと分かりにくいですが、敷いてある石の色が黒と白に分かれており、神域と一般という分け方です(これは、ユダヤ教の教えにもあります)
江戸時代はこの辺りは、大変賑わっていて内宮と正統性を争い、そして敗れて、沢山の神官の方が殺されたそうです 5、6代前の話なのでその言い伝えが残っているそうです 直接会ってお話を聞きたいものです
名残惜しみつつ、伊雑宮をあとにして、また、伊勢市内に戻り猿田彦神社へ向かいます
古事記によると、サルタヒコノミコトが出て来るのは天孫降臨で邇邇芸命(ニニギノミコト:天照大御神の孫)が高千穂に降りられた時にみちひらき(ご行啓)した国津神として知られていますが…
長先生によると、降りてきたのは、ニギハヤヒノミコトで神武天皇に國を託しました(これが二度目の國譲りです)
そして、その隣にあるのが佐留女(サルメ)神社で、サルタヒコの奥様です
古事記で最初にお出でなる時は、独身の時で、天照大御神が天岩戸に御隠れになった時に、神々が集まって会議を開いて話し合っていた時、踊って天照大御神を天岩戸から出て来る切っ掛けを作った神様です
踊りをおどったことから、芸能の神様として多くの芸能人が訪れます
二度目に古事記に現れる時は、天孫降臨の時、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。『日本書紀』では、その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。そこで天照大御神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田毘古神で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来た(Wiki pediaより引用)
これが、ご縁でアメノウズメノミコトはサルタヒコ(猿田彦)ノミコトとご結婚されまして、名前を猿女命(サルメ)変えられました これが、女性が結婚したら姓を変える最初になったそうです
この猿田彦神社では、佐留女の神が裏神として大切であると長先生は仰っていました
さるめ神社の鳥居の形は変わっていますねぇ~
さあ、日も暮れかかってきました 一日目は猿田彦神社で終わりです
これから、再び二見へ戻って宿泊するお宿 浜千代館へ行きます
ジャズが流れる海辺のお宿 浜千代館
http://www.hamachiyokan.com/
住所:三重県伊勢市二見町茶屋537-26
和風なお出迎え ほっとします
豪華な食事ですが、僕は肉は食べられません😢
掛け軸が掛かっている和室
国士舘大学4年生の若者と同部屋 素直な若者で「かつさん」という方の代理で来たそうです 学校の教科で神道の時間があるそうですが、長先生のお話を聞いて、カルチャーショックを受けているようで、アカデミックな話とは全然違うと言っていました
今の学校教育は、真実は教えないし、教授達も、自分の名誉と金儲けに走っています
敗戦利得者(共産主義者)が教える日本は、先がありません
何かおかしいと感じたら、自分の足と直感で真実を探していくしかありません
この旅行を切っ掛けして、目覚めていってほしいものです
さて、夕食の後は、長先生、神谷さんを交えての「秘密会議」です
「ぶっ飛んだー」内容ばかりなので、ブログにかけませんー 💦
二日目の朝❕ 海岸線を散歩、風は強かったけど、綺麗な朝日を拝めました
日拝しなきゃ~
さあ、外宮に到着しました 外宮は伊勢市内の中心地にあり、JR伊勢市駅を降りると外宮までの参道があります
母校の小学校が近くにあり、良く遊びに行っていました 梅雨の時期は、勾玉池の菖蒲の花が咲き乱れきれいですし、秋になるとドングリを拾いに行ってました
外宮の勾玉池は、空海が設計したところで最も大切な所なのだそうです
俯瞰してみると勾玉の形をしているのです
参道は真ん中が少し盛り上がっていて、両脇に溝があり水が流れるようになっています
参道に水が溜まらないように設計されています
正宮…ご祭神は豊受大神で、天照大御神の食事を司る神として出雲から来られたと言われます
日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)。毎日午前8時から午前9時までにかけての朝大御饌、午後3時から午後4時までにかけての夕大御饌の毎日2回、外宮御饌殿において御饌を供えて行う神事。常典御饌とも呼ばれる。豊受大神宮の斎館にて前日から潔斎していた権禰宜が、外宮の「忌火屋殿」において火錐具を用いて錐り出す「忌火」とよび、神聖とされる火を使用して、同じく前日から潔斎していた神職が調理した御飯(おんいい)(蒸飯)3盛、上御井神社の神水、御塩(みしお)、干鯛(季節により、スルメ・カマス・ムツ)、乾鰹、海藻、野菜、果物、清酒3献を、禰宜、権禰宜、宮掌各1名、出仕2名が「御饌殿」において、天照皇大神と豊受大御神と、天手力男神、万幡豊秋津姫命、相御伴神三座に奉る祭典。
神饌としての御塩を御塩殿神社から、外宮に運ぶ際に使う御塩道が定められており、また、御塩の豊受大神宮斎館への輸送のためだけに用いられる橋として「御塩橋」が外宮の宮域にある。
米は伊勢市内の「神宮神田」、野菜は伊勢市内の「神宮御園」で造られるなど、神宮の神饌は自給自足を旨としているだけでなく、祭具としての土器も多気郡明和町にある土器調製所で造られている。(WIki pediaより引用)
でもね、外宮から内宮まで車で15分はかかるぐらい離れています 昔は自動車などなかったし、台所は食事をする所の近くに作るのが普通の考えだと思いませんか。
内宮は「祟り」が多く、それを鎮めるために外宮が建てられたという、長先生の話には説得力があります
祟りはエネルギーが強いので、皆が畏れるのです
外宮は内宮よりずーっと後に建てられました また、豊受大神は出雲系の神様で天照大御神を監視するための関所となっているという説があります
トリビアなお話…「神宮」と言えば、「内宮」の事を指すのです 外宮と内宮は一体ではなくて、外宮は伊勢神宮というのです
そして、次に向かったのは別宮です
この別宮がまたまたビックリ仰天の話で、西洋占星術と同じような場所だというのです
多賀宮(火の宮)、風宮、土宮、下御井神社(水の宮) 火、水、風、土が集まっている場所なのです
長先生から4つの別宮を自分の好きな順番(直感で)で回って、感じてくださいとのこと 僕は、多賀宮➡風宮➡土宮➡下御井神社の順番で巡りました
また、長先生も「土の時代」が終わって、これからは「風の時代」だと仰っていました
今年12月22日は、「Great Conjunction」であり、「水瓶座の時代」(アクエリアス、アフロディーテ、ヴィーナス)女性性の時代に変わっていくのです
國で言うと、日本は女性性で、英語圏の国々は男性性。神様で言うと「スサノオ」(スサという場所の王様という意味であります)あちこちに、女が居て、武力によって統治していました
でも、お嫁さんのクシダナダヒメは、戦いを避けて、仲間を守りました
下御井神社(写真はネットから拝借)
勾玉池 朱塗りの舞台がお神楽を舞う所です 僕が子供の頃は、せんぐう館なんてものはなかったので、勾玉池を一周できました
外宮をあとにして、イザ、内宮へ
内宮は地形で言うと、R23号線のどん詰まりで、伊勢市内から離れたところに位置します 後ろは神宮の山々です 川に挟まれて、押し込めらた感じがする場所です
内宮の天照大御神は、男性神であるといわれます というのも、明和に「斎王宮」があり、斎王は女性で神様の周りのお世話をするお役目です 現代で言う奥様なのです
奥様を娶るのは、男なので必然的に内宮の天照大御神は男性となるわけです
また、内宮では日祭りみたいな行事はなく、政務を行っていたところではないかと思います
正宮は入り口の方を向いていないので、このことからも畏れられていたことがわかります
皇大神宮第一の別宮 荒祭宮…天照大御神の荒魂をお祀りしてあり、パワースポットといわれています
神楽殿ですが、造りがお寺です
神社の中にお寺があったという長先生仰ることが分かると思います
別宮、風の神様です 内宮にもあります
茅葺の屋根なので、古い建物で最初にここにお宮を建てられて祀られたそうです
僕の好きな和歌に西行法師の「何事におわしますかは しらねども ありがたさに 涙こぼるる」
この歌は、西行が神宮を訪れた時、大変感激し、お詠みになられたなられたお歌です
当時は(鎌倉時代)は観光地されていなくて、天照大御神の偉大さに畏れおののいて詠まれたのだと思います 凄い霊気、エネルギー、パワーがあったのでしょう❣️
昼食は、てこね茶屋の伊勢うどんとてこね寿司です(伊勢名物です ご来勢の折を是非食べてみてください)
伊勢音頭の一節に「お伊勢参らば朝熊(あさま)をかけよ、朝熊かけねば片参り」と唄われたとも言われているように、朝熊山の金剛證寺にも参詣するのが習わしでした
伊勢の住人は、お葬式を済ませた後、この金剛證寺に行き、「岳参り(地元ではたけさんといわれます)」をします
親戚一同で「お柱(卒塔婆)」を建てる習わしがあります
伊勢神宮の奥宮といわれています
高野山金剛峰寺に似た感じがします
さあ、愈々旅も終わりに近づいてきました
最後は、桑名の多度大社です
「上げ馬神事」で有名な所です
この坂を馬で駆け上がるのです その年の吉凶を占うのです
雨が降ってきましたが、このお宮を見た時「はっ」と思い、なんて きれいな ところなんだと感じました 「場」が違っていました なんかスーッと体の力が抜ける気がしたことを思い出しました
隕石が落ちた所で、穴が空いています
天の岩戸開きで、外宮と繋がるのです
此処で長先生とお別れです
長先生のお言葉…日本の神社、神様については色々な説や言い伝えがあります 二千年以上も国として続いてきた我國の歴史はとても奥深いのです
一つの説に固執するのではなく、柔軟に色んな話を受け入れる方がいいのです
9割が本当で残り1割が怪しい情報を見抜くことはむずかしいです リテラシーを身につけるのは直感力を磨くことが大切だというのです
感想
兎に角、めっちゃ楽しかったです❣️
伊勢出身で在住している僕でも知らないことが一杯あって、頭の中が情報でパンパンです
長先生の話は、とんでもない事、俄には信じられない話が多いのだけれど何故かあとから、そうかもしれないと思うようになってきます
日本人のDNAが覚醒するからでしょうか❓
縄文の時代からみると、日本は何万年も続いてきた国柄です
長先生から学んだ知識を知恵にかえることによって、守るべきもの、伝えていくべきものが見えてきたようです 物質世界から精神世界に移行していきます 日本精神が世界を変える時代がやって来ました
最後までお読みくださり感謝申し上げます