癒しの杜

美しい日本を取り戻す 随神の道 子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

哲学ってな〜に?

僕は今まで政治の話はしてこなかったと思います

政治と言うと人の一番汚い部分が現れる所だと思っていたからです

でも、そうではない という事が分かりました 政は祭(まつりごと)なのです

つまり、神様と繋がることなのです

そういうことが出来る人間の事をギリシャ哲學では哲学者と呼ばれていました

そういう人が政治をしないといけないとソクラテスプラトンも言っているのです

 

所謂、哲人統治説っていう考え方です だったら哲人、哲学者と言うのは一体全体どんな人なんだ~という訳です

 

ソクラテスプラトンが話している『洞窟の比喩』というお話を紹介しましょう

これは、対話篇『国家』という本の中に出て来るひょっとすると世界で一番有名な比喩なのかもしれません これは、哲学の基本の基本です

 

まず最初に、長い洞窟を想像してみてください それはメチャクチャ長いもので、太陽の光は全然奥の奥までは届かない場所です

で、その洞窟の穴の先端を考えましょう そこで人々が下図のように洞窟の先端の壁に顔を向けて座っています 一方で、こうした人々の頭の後ろ側に「焚き火」があると想像してみてください この人々はずっーと壁を向いて座っているのでそこに焚き火があるとは誰も全く気づきません

さて、ここで人々の後頭部と焚火の間に何か得体のしれない者が居て(この存在についてはもちろん、人々は気づかない 人々はずっと壁に向いたままだから)

そこで、お皿なりスプーンをなりといった色んなモノを焚き火の光にかざしていると考えてください そうしたらどうなるかと言えば、炎にかざされた色んなモノの「影」が洞窟の壁に映ることになります

さて、この人々は生まれてこの方、ずっと壁にの方向に首が固定されていて「影」

ばかりを見て育ってきた人々だと考えましょう 

だから、彼等はその影を見て、「あれが、お皿だ あれがスプーンだ」と考えています

生まれてからずっとそう見ているから、彼等は皆、壁の皿の影を 皿そのものだー と思っています

そこにある焚き火には誰も気づいてはいないのです

 

そんなある日、ある人が突然、後ろを見ることに成功する すると彼はスグにそこには焚き火がある事を理解します そして、自分たちが今まで皿と信じてきたものが、実は皿ではなくて単なる皿の「影」であることに気づきます

 

さらに彼は、その焚火の向こう側に道が続いていること気づきます そして、彼は「なんだろう?」と思ってトコトコと歩いて行きます その道は、洞窟の出口に繋がっていて歩いて行けば段々と光が見えてきます

さっきまで見ていた光とは違うものすごい光がウワーッと見えてきます

彼は「何があるんだろう 外にはどんなものがあるんだろう 氷の大地だろうか 炎の水だろうか」なんてことを考えながら、その光に向かって歩いて行きます

それは、とてもまぶしい光なので出口に近づけば近づくほど先に進むことが難しくなっていく だけどそんな中、必死になって突き進んでいけば、ある時パッと外に出る

そして、目を見開くと、そこにはスパーンと広い草原が広がっている そこには、木があって、雲があって、空があって、「いやーすごいな これ」彼は天にも昇る気持ちなります しばらくすると、段々暗くなって、夜になる すると空には満天の星空が広がる

 

さて、この外に出た、突然変異的な人物こそが「哲学者」なんだと ソクラテスは言います

で、もうお分かりのように壁ばかりを向いて、影をホンモノだと思いこんでいる人々こそが「一般ピープル 普通の人々」と呼ばれるものなのです

 

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洞窟の比喩

さてさて、この哲学者、しばらく外で素晴らしい風景を見入った後で、洞窟に戻ってくるのです

この哲学者、外の世界で「真実」を見たわけです 彼にはもう、影は影にしか見えない

影をホンモノだーなんて考えることは、出来ない体になってしまっていて、彼は自分たちは今まで如何に惑わされた真実の状況ではない虚構の空間にいたのかーと見て帰って来ます

つまり、彼は既に、何が真で、何が善で、何が美なのか、ということがわかってしまう存在になっていたのです

つまり、政治を行う時に知らなければならない「奉るべき崇高もの」というものが一体何であるか知っている存在になったのです

 

で、洞窟に戻ってきた彼は人々にこう言います

「みんな、皿だと思っているものは、実は、それは皿ではなくて皿の影なんだ!」

と彼は一所懸命説明します でも、誰も彼の言う事が理解できません

「お前、何ワケノワカンナイこと、言っているんだよ これは、皿に決まっているじゃないか!?」さらに皆は続けます「頭のオカシナ奴」と見なして、馬鹿にしたり、イジメたりし始めます

「お前、ホント馬鹿だなぁ ワケワカンナイことばかり言って そうだよ そうだよ こいつホントバカだよ」

真実を知ってしまった哲学者は、真実を知ってしまったがために一般の人々からイジメにあってしまうわけです

以上が洞窟のお話なわけでございますが、これは、ソクラテスが哲学者はどういう人なのか と言う事を説明する為に口にした比喩なのです

 

だから、哲学者でない普通の人々、一般ピープルは「崇高なモノと繋がる」ということはできないということになります

壁に向かって座り続けている人々は、何がホントのことで何がウソなのか、何が美しくて何が醜いのか、何が善いことで何がワルイことなのかが永遠に区別することが出来ないことになります

でもね、振り向こうとすることは簡単なことなんですよ

やろうと思えば誰にでもできるわけなんです 振り向いて出口まで歩いて行けるわけなんです

だから、哲学者なんて特別な存在でも何でもないんです

でも、ほとんど人は、振り向こうともしない 「思考停止」状態です

だから、哲学者というのはその他大勢の人が考えもつかない夢にもみたことがないようなことをやってしまう よほどの変わり者だとも言えるわけです

皆からイジメにあっちゃう…

そして、変わり者は振り向くだけでなく困難を承知で外まで行こうと考えます

ここも、重要なポイントで太陽の光が眩しくて死にそうになるんですけど、それでも行く それが哲学者なんですねぇ〜 この比喩が暗示しているのは「ホンモノの哲学者になる、ということは死に赴くほどに大変な事、難しいことなんだー」ということなのです

そして、一番大切なことは、外の世界の美しさ‼️なのです

凄まじく美して、呆けるくらい。外の世界の真実を知れば、洞窟の人々に降りかかる危険も避けられることができるわけです 

だから、真実というのは美しいものであってしかも善いものでもあるわけです

真善美は皆、一緒なのです

そして、彼は外の世界のことを知っているだけでなく、おびただしい数の人々がホンモノを知らずに彷徨っているということも知っているわけです

このような人々を何とかかんとか治めようとするのが「哲人統治説」と呼ばれるものです

 

決して彷徨い続ける人々を馬鹿にしたり軽蔑したりしているのではなく、あくまでも安んずる対象とみなして、いろんな働きかけをしていく…「神の世界にまつりごとを通して繋がり、荒ぶる人々を安んじ、治めていこうとする 政治と呼ばれる本質ではないでしょうか!」

この比喩を覚えておくと長い人生生きていると「あっこれってアノ比喩と同じだ❣️」ということに出会すことが多々あると思います

そういう意味で、この比喩は本当に素晴らしい比喩だと思います

藤井聡著「新・政(まつりごと)の哲学」 青林堂 を参照にしました

 

最後までお読みいただきありがとうございます