前回お話したお金の話の復習からです
おカネが成立するためには、次の4つの条件を満たせばおカネとなります
①お金の単位(円、ドル、ユーロなど)があること
②債務と債権のデータを記録する仕組み
③譲渡性
④担保
だから、モノである必要は全くないのであります ②の債務と債権のデータ記録として一般に使われているのが「銀行預金」です
というと、反発して言ってくるのが、銀行預金と言ってもそれは、元々私たちが紙幣やコインを銀行に預けたものであると言ってきます
ですが、紙幣もそれ自体に価値があるのではなくて(1万円札で原価20円ぐらいだと言われています)紙幣に書かれていますが、日本銀行券(日本の場合)です つまり、日本銀行の債務であり、債権者は紙幣を持っている私たちです
この金属主義から表券主義へ頭を切り替えすることができれば、世の中の見方が変わってきます
で、「このおカネとは債務と債権の記録」を理解してもらうために銀行の成立の歴史を見てみましょう
分かりやすい例として、「3人の果実農家」しか存在しない世界を想像してみましょう
それぞれ、オレンジ、バナナ、リンゴを生産しています
オレンジ農家は、バナナやリンゴが欲しい バナナ農家は、オレンジやリンゴが欲しい
リンゴ農家は、オレンジやバナナが欲しい それぞれ、自分が生産していない果実を入手できないと生き延びることができない とすると、それぞれが生産していると果実と物々交換することを考えますが、生産時期が異なるからそれぞれの欲しい時に手元に果実がない! さて、どうするか。
それで、塩や貝殻、タバコや砂糖、さらには鐵金銀、あるいは「金貨」「銀貨」という商業用具が必要なるが、現実は違います
商業用具は必要ないのです オレンジ農家は、春にオレンジを生産しました リンゴ農家がオレンジを買いに来ました リンゴ農家は、リンゴの時期ではないのでリンゴが手元にありません なので代金として「リンゴを渡す」と書かれた「借用書」を渡してオレンジを手に入れます(下図①)
さらに、オレンジ農家が夏にバナナを買う際に、手元にオレンジがないので春に手に入れたリンゴ農家の借用書を渡せば済む話です(図②)
リンゴ農家の債務(借用書)の債権者が、オレンジ農家からバナナ農家に移りました
勿論、バナナ農家は自分が必要な製品を入手する際に、リンゴ農家の借用書を使えます
上図のように、リンゴ農家の借用書が次々を移動していきます(譲渡性)
債務と債権(誰かの債務=誰かの債権)の記録が人々の間を行き交いします
そうすることによってそれぞれが必要な製品を入手することができるのです
日本の紙幣で言うと、「日本銀行券」とは日本銀行の約束手形(借用証書)と言う意味を持ちます
ということは、モノやサービスの価格と言う債務を他者(日本銀行や市中銀行など)に対する債権で弁済する
これが買い物をするということなので、おカネの正体は、それ自体が価値を持つモノではなくて、単なるデータ、記録なのであります
時代は下り、1609年に金融イノベーションが始まりました
革命的なインパクトを人類に与える「アムステルダム銀行」が設立されたのでした
スペインからの独立戦争に勝利したネーデルランド連邦共和国(オランダ)は、世界の覇権国となって、欧州中からアムステルダムに商人や物資が集まりました
ところが、当時の欧州の「おカネ」は、金貨や銀貨が中心でしかも額面や単位、金銀の含有率までもがバラバラで決済が大変で煩雑でした 一般商人には、相手が支払うおカネの「価値」が全く分からなかったです
当時のオランダでは何と400種類以上もの貨幣が使用されていたという事です
なので、商売の際に手形が流行します 各地の商人は、仕入れの際に受け取った手形を出納業者(両替商)に持ち込み、自国の貨幣に両替します 出納業者は多種多様な金属貨幣を選別し、価値を計る能力を持っていたのでした
すると、悪賢いやつが出て来て、持ち込まれた手形について、「軽量金属貨幣」で換金することが大問題となりました 故意に金属量を落として手形を換金した出納業者が退蔵した金属を造幣所に持ち込み、不当な利益を得ていたのでした
当然、アムステルダムに集まった欧州商人の不満は高まり、決済をスムーズに行うための知恵を絞り、画期的な仕組みを考えだしました
それが、「アムステルダム銀行」の設立で、欧州中の通貨について法定重量を満たす法定金属貨幣(単位はグルデン)に両替することが定められました
両替について民間に任せておくと各業者が「自己利益最大化」に走るため、公の両替銀行を発足させたのです
アムステルダム銀行は、預金を引き受け、さらに振替による決済も始めました
この振替決済こそが、画期的かつ決定的な金融イノベーションとなったのであります
例えば、商人Aと商人Bの間の、ニシンの取引を考えてみましょう
商人Bはアムステルダム銀行に1000グルデンの預金があります(図①)
商人Bが商人Aからニシンを仕入れ(図②)、1000グルデンの手形を振り出しました(図③)
商人Aが手形をアムステルダム銀行に持ち込むと、銀行側は商人Bの口座から商人Aへの口座に1000グルデン振り替えます
振り替えとかくと難しいと思われますが、単に銀行のオペレーションは口座間で数字を移動させるだけなのです
商人たちはアムステルダム銀行の仕組みを使う事に拠って、硬貨を使うことなく、商売の決済ができるようになり、手形およびデータを動かすだけで売買の清算ができるようになりました しかも、安全で、便利なシステムであったので、欧州中の商人はアムステルダム銀行に口座を持つようになり広まって行きました
さらに、さらに、1680年代になるとアムステルダム銀行は、振替による決済で移動したおカネについて、貨幣化を禁止しました つまり硬貨に両替することが不可能になったわけですが、問題が生じたかと言うと別に何事もなかったのです
商人たちにしてみれば、自分の取引相手は必ずアムステルダム銀行に口座を持っていたし、商売の支払いは振替で行われるため不都合はなかったのであります
(取引市場でアムステルダム銀行の預かり証を買う事で現金化することは可能でした)
まさに、おカネは貴金属(金属主義)から債務と債権の記録(表券主義)へ正常化したのです
さて、場所はロンドンに移ります
商業が盛んにおこなわれていたロンドンでは大商人たちの手元に金貨が積みあがっていき、その保管場所に困っていたのでした 人の心理はおカネが沢山あればあるほど不安になり安全に保管する場所を求めるのです 欲心です
というわけで、ロンドンの大商人は、イングランド王国の要塞でもあったロンドン塔に預けるようになりました イングランド王國は大商人から金貨を預かる行政サービスも提供していたのです
ところが、1640年チャールズ一世が財政難の中で戦費調達の必要に迫られてロンドン塔に保管されていた金貨を没収しようとした
当然のことながら大商人はパニックに陥り、批判が殺到 チャールズ一世は金貨没収をあきらめざるを得なくなりました
その後は、もはや誰一人としてロンドン塔を信じなくなりました
で、大商人はまた悩みます いったい何処に稼いだ金貨を預ければ良いのかと...
当時のロンドンにおいて金細工商人は「ゴールド・スミス」と呼ばれていました
ゴールド・スミスとは個人名ではなくて職業名でした
ゴールド・スミスは職業柄、大量の金を在庫として持っていなければならず、仕事場に巨大で堅固な金庫を持っていました
そこに目をつけたのが、ゴールド・スミスで大商人たちから金貨を預かり、預かり証(金匠手形)を渡すビジネスを始めました
やがて、ゴールド・スミスは、金貨を預けた商人たちが一斉に金匠手形を持ち込み現金化をすることは「あり得ない」と気づきました で、ゴールド・スミスは金庫の中の「商人から預かった金貨」借り手に貸し出し金利を稼ぐようになったのです
もっとも、ゴールド・スミスから金貨を借りた借り手は、自らの商売の支払いに使うためでした すると支払いを受けた商人も、金貨を手元に持っておきたくはなくゴールド・スミスに預けます ゴールド・スミスが貸し出した金貨が、結局はゴールド・スミスに戻ってくるわけです(同じゴールド・スミスに戻ってくるわけではありませんが)
同じ時期に、ゴールド・スミスが発行した金匠手形が紙幣として流通し始めたのです
金匠手形を保有する商人は、買い付けのためにわざわざゴールド・スミスに行く必要は無くなり金貨を持ち歩くことをしなくなり、取引金額が高額になればなるほど金貨を持ち歩くことは危険となります
というわけで、金匠手形という紙片が商売の決済に使われるようになったのです
ゴールド・スミスは、商人から預けられた金貨を貸し出すサービスを提供しました
そして、ゴールド・スミスが書いた金匠手形が事実上の現金紙幣として流通し始めました
そして、とうとう気づいてしまったのです あるゴールド・スミスが、思いつきました
「今までは、金貨を貸し出していたが、よくよく考えてみると、別に金貨を貸し出す必要はないよねぇ~」
単に借り手に金匠手形を渡せば、貸し出しのビジネスが成立するんじゃねぇ!
そうです 成立しちゃんたんです
貸し出しの際、ゴールド・スミスは借用書と引き換えに数字を書き込んだ金匠手形というおカネを発行するようになったのです
それで何の問題もなかったのです 銀行の誕生した瞬間です
まさに、おカネはイルージョンなのです
ゼロから生み出されるからです
おカネの本質が『債務と債権の記録』という事実があるから生まれたモノなのです
経営科学出版 三橋貴明著『知識ゼロからわかるMMT入門 おカネの仕組みがわかれば世界がわかる』参照にしました
最後までお読みいただきありがとうございます