癒しの杜

美しい日本を取り戻す 随神の道 子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

第三回 倭塾関西 レポート 後半

前半はイギリスで産業革命が起こり列強の植民地支配が始まったという所で、終わりました。

機械化が進み、大量生産ができると自国では商品が消費しきれず、その売り先を海外に見つけなければいけません。

その市場を求めてアジアの進出が始まったのです。

イギリスの東インド会社を例にとって話します。

イギリスが目をつけたのは元帝国の末裔のムガール帝国のインドです。

インドは良質の綿が取れ手工業の綿製品がありました。でも、イギリス製品を買わせる為に、武力でインドの綿織物を壊滅させました。➡セポイの乱 この戦いに勝利したイギリスはインドを支配するようになったのです。

当時イギリスと清国の間では茶をイギリスは輸入していまして貿易赤字でした。当時の国際通貨で対価である銀がイギリスから清国に大量に流出しました。直接イギリスから清に銀が出ていったわけではなく、為替手形が国際貿易に使われていたため、中継地のインドから清国に銀が流出したのです。

銀が大量に流出するのは かなわん と考えたイギリスがとった政策がアヘンを清国に密貿易することでした。

インド産の綿製品は作られなくなったため、その土地で阿片を作るようになったのです。

そうしたところ、インド産の阿片は質が良いものが取れたのです。

当時の阿片は滋養強壮、医薬品的な感じで使用されていました。

そして、その売り先を清国に求めたのです。

インド産のアヘンは質が良いものですから、よく効くのです。

だから、爆発的に阿片が清国で広まりました。

で、そんなに良く売れるなら自国でも作ろうよ とChinaのお得意のパクリで作ったのですが、質が悪くて、全然売れなかったそうです。このことは、今も昔もChinaのやることは変わらない‼(大爆笑)

このようにして、イギリスは銀の流出を抑える事が出来ました。これが学校の歴史の授業で習った「三角貿易」です。

この状況で、清国は阿片の密輸の取締りを強化し、そしてアヘン戦争に繋がっていきます。

当時の清国のイメージは上図のスライドのように、大帝国の刷り込みがありますが、実際は下図の有様でした。

因みに、タイ、ベトナムインドネシア辺りをインドシナ半島と呼びますが、丁度インドとChinaの間にある半島だからインドシナだったのです。(会場から なるほど

腑に落ちました。という感じになりました。)

 

 植民地と宗主国との関係。

例えば、フランス領インドシナの場所でイギリス人が殺されるという事件が発生したとしましょう。刑事上は犯人を捕まえて罰を与えれば解決しますが、民事上被害者の賠償はどうするかという事なるとそれは、その國を統治する王様に求めるのです。

ところが、当時の王様は「そんなもん、俺がやったのじゃないから知らんが~」という訳です。全くの無責任で、責任を取ろうとしません。それは、国家というべきものではないので、国どうしの付き合いができません。だから、それなら替わって宗主国であるフランス政府が賠償しましょうという事になります。

植民地と宗主国の関係はこういう一面もあるわけで、国際関係を成り立させる為には、自主独立が必要になってくるのです。

 日本は開闢以来、他国の植民地になったことはありません。途中足利義満が明国から日王という称号を貰い混乱した時期もありましたが、万世一系天皇陛下の下世界一長い歴史を持つ國なのです。

国際秩序体制の変遷の図。今は国連秩序体制。

国連はUnited Nationsつまり第二次世界大戦の連合国の事です。

この国連の理念のもとになったのが、ルーズベルトの世界三大秩序構想です。

 1.上層国が安全保障理事国(安保理)五大国と言われるもので(米国、イギリス、フランス、ロシア、中華人民共和国)五大国のみが軍隊を持ち、国連軍として勝手に武力行使できます。

2.中層国…平和愛好国(中小の国々)

三番目の敵国、侵略国と位置づけされているのが、日本、ドイツなどであります。

上層国、中層国の下に位です。

だから、慰安婦問題も、拉致事件問題もこの敵国という位置づけとなっているから日本は他国から攻めらるのです。

でも、Chinaがちょっかいは出すけど、武力行使ができないのは、田中角栄元首相が締結した日中友好条約があるからです。国際条約では後から締結された条約の方を優先します。

最近、Koreaの文ちゃんが北のヘルメット頭の若造に擦り寄っているのは、日韓基本条約があり、日韓合意で10億円貰っているので、国際的に言える立場ではなくなったので、北の坊ちゃんと一緒に強請、集りしませんか!と持ち掛けているという事。(なるほど納得。)

そして、元国連事務総長 潘なんちゃらという人は、人事問題を引き起こし、過去最低の事務総長と言われました。

で、話は国連秩序体制の次をどうするか!ということです。国連の経費の三分の一は日米が出しているのです。アメリカは支払っていませんが…日米で新しい秩序体制を造ろうとしています。日本の役割は大変大きいです。

ざーっと大航海時代から現在の状況までを見てきましたが、大きな歴史の流れの中では、表面だけを見るのではなくてその裏側に流れていることをちゃんと把握しておかないと見誤ります。

これからの日本を考える時に、今の状態だけを見ているのではなくて、経緯、継体、流れを見て、そこから未来を考えていかねばいけません。

歴史にIFは、禁物だと慣用句のように言われていますが、IFを考えるのが歴史の授業です。例えば、信長が延暦寺比叡山を焼き討ちします。貴方が信長だったら、どのようにしますか?を考えるの歴史の授業です。これを実践していて、現場の教師たちに授業のやり方を講演しているのが、齋藤武夫先生です。

こういう質問を生徒たちして、お互いの意見を言い合うのが歴史の授業です。生徒たちの目つきが変わっていくそうです。

海外のハイスクールでは当たり前のように行われ、ヨーロッパでは18世紀から始まったと言われています。

しかし、日本の古事記には、序文の所に『歴史は国家の典教である』と書かれています。古事記が編纂されたのは8世紀です。ヨーロッパ各国よりも1,000年も前から日本では歴史について学んでいたのです。

逆に、このような歴史授業をしていないのは、現在の日本です。(情けない(T_T)/~~~)

古事記の書かれた経緯は、白村江の戦いで日本の兵隊が5万人も亡くなったことがきっかけです。当時の5万人というと現在の人口比率でいうと、300万人もの若い男子が死んだという事です。

これは、国家存亡の危機なのです。

白村江の戦いは、唐、新羅の連合軍が百済を滅ぼそうと攻めてきたので、日本から援軍を半島に送りました。日本は唐、新羅連合軍の大軍に対して少人数で熱戦をしていましたが、ちょっと劣勢になると百済の連中が「アイゴー」と言って逃げていったそうです。これが、敗因です。ホントに昔も今も半島人は変わりません。(爆笑ヽ(^o^)丿)

そして、この国家存亡の危機に対応するため、天武天皇が詔(681年)を出され、古事記編纂が始まったのです。

それから、30年経った711年に古事記は完成したのです。30年もかけて書かれた書物です、その内容は凄く奥深いのであります。

世界中の民族が持つ神話は、磨製石器登場の時代に作られたとされています。

神話を作る目的は、一族が統一された目的をもって社会を維持する体制が必要だったからです。

猿と原人の違いは、その集団の頭数の差で、猿は50から60頭でぐらいで、原人は150人ぐらいの集団で行動していました。120人以上になるとコミュニケーションが必要となり、言語が発生するらしいです。

日本で磨製石器が作られたのは、3万年前だと言われています。

世界最古です。それから、長野県の遺跡から発掘された磨製石器は、伊豆の神津島から運ばれた石材とされていて、このことは当時から日本人は航海術に長けていて海洋を自在に往来していたことがわかります。

上図は、晩氷河期以降の気候変動と文明の盛衰の図です。

長い長い歳月の間には、色んな事がありますが、気候変動も大きく文明に関わってきます。1℃高いと、鹿児島と仙台の気候がひっくり返ります。

2℃高いと樺太と鹿児島がひっくり返ります。つまり、鹿児島は熱帯雨林の気候になってしまうのです。

8℃下がると海面が下がり、日本列島は大陸と繋がってしまいます。

 上図のように日本列島は災害が多い國です。だから、日本人は皆が安全で安心して暮らすにはどうしたら良いかとずーっと考えてきました。

 古代からその対策を試行錯誤してきた中の一人が、大国主だったのです。(やっと登場です。)

古事記は上つ巻、中つ巻、下つ巻の三巻からなり、大国主神話は上つ巻の三分の一の文字数を割いて書かれています。ものすごく大体的な取り扱いです。

だから、その内容は奥深いのですが、時間が足りなくって来ました。6分で大国主神話を話します。

大国主神話の構成は上図の通りです。

有名な因幡の白兎の話ですが、(ここから大国主神話が始まります。)古事記ではウサギと書かれていません。

菟(ねなしかずら)と書かれています。

ねなしかずらとは、農民と違って土地に根差して生活していない、根無し草のことを言います。

連雀町という問屋街があって行李を背負った行商人がぴょんぴょんと跳ねるように歩いていた様子が雀の様であったことから、連雀町と呼ばれたのですが、この様子をウサギに見立てる事も出来る事から兎と読ましたのかもしれません。

 

古事記が書かれた当時は日本は、亜熱帯気候だったので、実際に鰐がいたのです。

また、アウトトリガー付き帆を張った船の事をwanuiと言うそうです。

当時から自由に往来していた日本人ですから、あり得る話です。

だから、現代の日本で言うと菟が行商人という事は、陸上運輸のヤマト運輸で、鰐が海上運輸日本郵船で、ヤマト運輸日本郵船を騙したという話なのかもしれません。

その後、大国主が名前が変わっていく過程で色んな経験をし、須佐之男命の薫陶を受けて、大国主は出雲の土地を巨大物流経済大国としました。また、八千矛神とあるように軍事大国でもあったのです。

商売というのは、安く仕入れて高く売れば、その差益が儲けになります。

なので、出来るだけ安く買いたたいて仕入れるように商売人は考えるのです。

だから、一次産業を生業としている人々、物づくりをしている人たちは買いたたかれるので、いつも貧乏な状態でいます。

 

これを高天原から見ていた天照大御神は見咎め、使いを遣わし「汝の宇志波祁流 この葦原の中つ国は 我が御子の知らす國と仰せである 汝の心いかに。」と國譲りを迫りました。

物をつくり、技術を身につける事の大切さを知り、末端の人々が安心で安全な暮らせることが國づくりでは大事なことであることに気づいた大国主命は、「俺のやってきたことは間違っていた!」と言って、國を譲る決心をします。

 これが天孫降臨です。

そこで、大国主命は国を譲る代わり、立派な宮殿を立ててくださいとお願いして、出雲大社を立ててもらいました。このような柱の遺跡が発掘されたそうです。

薀蓄ですが、雲太、和二、京三というのは立派な建築物のことで、雲太は出雲大社のこと、和二は東大寺の大仏殿、京三は京都御所のことです。

大仏殿や京都御所よりも出雲大社は立派であったことを言い表した言葉です。

 

 愈々、まとめに入ります。

日本は世界の縮図と言われていて、出雲地方はユーラシア大陸に相当します。

20世紀に始まりここ20年~30年は、ヨーロッパ人が世界中の富を集め、世界を支配してきました。

でも、大国主神話の言わんとすることは、天照大御神をはじめ神々は、人が生きていくためにはもっと大切なことがあるのではないでしょうか?

商業社会ではなくて、もう一度元々の日本にたち戻って、日本書紀に書かれているように『豈國無歟』が日本人が目指す國づくりではないでしょうか。と問いかけているようです。

ブルーカラーの時代の男たちは子供が5人、6人いて、じっちゃん、ばっちゃんの面倒を看ても女房を働かせることは男の恥だと思って、一所懸命働いていました。

それに比べて、今の日本はどうでしょうか。社会人として働いているサラリーマンが副業として飲み屋のアルバイト二つ三つと掛け持ちしないと、暮らしていけない社会なのです。どんどん日本人は貧乏になっていっているのです。

「古きを尋ねて新しきを知る」の諺にもあるように、今、日本人自身が元々ある日本の姿を知ることによって、今の状態を打開していくことが出来ると思っております。

 

他人、他国の悪口を言っても、日本が良くなることはありません。

日本を未来を考えるのは私たち自身で、今真剣に考える時が来ているのではないでしょうか‼

 

ご清聴ありがとうございました。

 

長文になってしまいました。最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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