癒しの杜

美しい日本を取り戻す 随神の道 子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

第55回 倭塾 レポート

2018年10月8日月曜日 13:30〜16:30

場所:タワーホール船堀

会場がタワーホール船堀に代わっての最初の東京の倭塾開催です。

都営新宿線船堀駅を降りてすぐにタワーが見えます。研修室は広くてゆったりした感じです。

さて、今回のテーマは「秩序と差別を考える」です。

 

 秩序の意味は、画面のとおりですが、ねず先生お得意の漢字の成立ちから意味を紐解いていきます。

先ず「秩」の訓読みですが、ふみ、つち、さちと読みます。

のぎへん でありますから、稲穂に関することつまりお米です。右側の文字はチョンを上に持っていくと手という漢字なり、右下の払いは手からこぼれたものを意味します。

昔はお米で税を納めており、升からこぼれたお米はお上に献上するわけにいかないので百姓のものになります。で 儲かった、儲かったという事で「さち(幸)」という訓読みが生まれたのです。いかにも日本人らしい大らかな発想です。

次に「序」ですが、まだれの中のヨみたいな形は機織りの際に用いる「杼(ひ)」を表していて杼は横糸を通す道具です。意味は順序良く真っすぐに通す です。

纏めますと、「秩序」はこぼれないようにきちんと積み上げるとなり、これから整理整頓すると意味となります。

これが、外国に行くと全然違った意味になります。お隣の半島、大陸国家は秩序はあくまでも、上下関係しかないのです。どっちが上か下か、二元論の考え方です。

上に立った者は、下の者に対して権力を握り、生殺与奪権まで握るのです。そして、最高権力者になると、もう上には支配する者がいないので無責任者になります。

日本の会社でも組織としての役職の上下関係はあります。でもそれは、あくまでも仕事上の上下関係であって、人間関係の上下関係はありません。ふつう日本の会社では、上司は部下に対して責任がありますから、部下を庇います。ある仕事に対して部下が失敗したら、上司が責任を取り、上手くいったら部下の成果とします。

また近頃、差別は良くない、皆平等でなければいけない!と言われていますが、本当にそうでしょうか?

平等と対等とは違います。ねず先生が分かりやすい説明をなされています。

あいつの方が勉強ができるし、頭も良いけれど、おらっちは、かけっこでは誰にも負けねぇ~ というのが、対等の考え方です。

平等は、運動会のかけっこで、皆、手を繋いで一緒にゴールするということなのだそうです。異様な光景です。これっておかしいと思いません?

日本人が持っているのは対等の意識です。アニメ「ワンピース」がうけるのも分かる気がします。近年日本アニメがうけているのは、世界中の人々がそう思い始めているからです。

華夷秩序体制は2000年続きましたが、半島国家はずーっと属国で銅印(泥印)しか貰えず、これはChinaから見れば、村長クラスの國であったという事です。

「三跪九叩頭拝」とは、歴代のChina皇帝の使いを迎える時の作法のことで、地面にひざまずき一回に三回頭を地面に打ちつけてお迎えする儀式で、それを三回繰り返すから合計九回地面に頭を打ちつける、屈辱的な行為であります。

この「三跪九叩頭拝」の作法で面白い逸話があって、明治時代に李氏朝鮮王が、使節として特使をアメリカ大統領に送ったところ、大統領府で突然、この「三跪九叩頭拝」の作法をやり始め、周囲の人々がびっくりしちゃって、お医者を呼んだそうです。頭おかしいんじゃないの?と思ったみたいです。

その時使節団は、これは、2000年の歴史をもつ東洋の美しい作法であると言ったそうです。

日本はそんな作法を行ったことはありません。

日本は大化の改新以降、Chinaの冊封を離れ、互市国のままであったのです。Chinaとは対等のお付き合いです。

その後、華夷秩序体制は崩れ、欧米諸国による植民地体制になりました。

この華夷秩序体制が崩れるきっかけとなったのが日清戦争の日本の勝利です。

そのあと体制が国際法体制で200年ぐらい続きました。その時、日本は半独立国家でした。日露戦争第一次世界大戦で日本が勝ち、国力をつけました。

人種差別撤廃、八紘一宇の精神を謳い国際連盟を脱退しました。これが、欧米諸国の反発を買ったのです。

以下ねずブロより引用。

そこで日本は必死の努力をして、明治44年(1911)には治外法権を全部取り払い、独立国の仲間入りをしました。そして、終戦の1945年までの34年間だけ、日本が世界の中で純粋に独立国家であった時期なのです。

 

このことは、ねずブロに詳しく書かれているので、こちらからどうぞ。

nezu621.blog7.fc2.com

欧米諸国は自分たちの利権を守る為、United Nationsを組み一丸となって日本を叩き潰しにかかりました。そして、第二次世界大戦終戦を迎えるわけです。

現在は、国連秩序体制ですが、日本は「下層国」で敵国扱いなのです。
この敵国は侵略国と位置づけられていますから、上層国・中層国の区別なく勝手に武力を行使しても構いません。(第53条①後段、第107条)

だから、日本が如何に国連に貢献しようとも安全保障理事国になることは難しいのです。

以下ねずブロより引用。

戦後の日本には、治外法権はありませんが、外国の軍隊が常駐しています。
これは日本が国防を外国に委ね、いまだ占領下にあるということですから、完全な独立国とはいえません。

でも、戦後72年が過ぎ、日本も変わり始めています。その影響を受けてアメリカも変わり始めています。日米とロシアを加えて三か国がグローバリストが築き上げた体制を突き崩そうとしています。

以上が、本倭塾のテーマのエッセンスです。

ここからは、講演時のエピソードを紹介していきます。

ねず先生のエピソード話は喩が分かりやすく、なるほど! と腑に落ちます。

 

古代律令体制の図です。天皇の下に弾正台、太政官神祇官の三省があり、太政官は行政を執り行う所です。そのトップが太政大臣で、左大臣、右大臣がいて大納言から上がってきた議案を左大臣、右大臣が話し合います。左大臣の方がちょっと位が高い。左右の大臣が話し合った結果を太政大臣に持っていき、太政大臣がOKを出したらそれが法律となるのです。その前に下の左弁官、右弁官も同様に両者が話し合い、その結果を少納言が納得したら、その上の大納言に少納言が奏上するという仕組みです。必ず三者の意見が入るのです。

その決まった事柄を民(おおみたから)に伝えなければいけませんが、その役割が神祇官なのです。神祇官は神社のネットワークを使って情報の共有化をはかっていたのです。

令集解という資料によると、毎月氏子(村人)が神社に集まって食事会を開きます。

その時に神社の宮司さん達が神祇官からの連絡事項を伝えるのです。

因みにその食事会の時に座る順番ですが、上座から年齢順なのです。身分や権力のあるなし関係なく年齢順なのです。そして、若者が給仕、お世話をするのです。

さらに、昔は神社は稲の苗を育てており、その苗で米を作ります。そして収穫された米は神社に奉納米として献上され、イザという時、災害等の緊急時の為に備蓄米として保存されます。宮司さん達神社の人々は新米を食べたことはなく、古々米から食べていたそうです。だから、どこの神社でも米を保管しておく建物は高床式でネズミ返しがついていたのです。

 そして組織の中には悪さをする人(私腹を肥やす)も出て来るのでチェック機能が必要となります。太政官太政大臣を任命するのは天皇陛下なので、太政大臣を罷免する方法の一つとして、天皇が退位なさることがあります。天皇が変われば、当然新しい太政大臣が任命されるからです。

そして、もう一つの方法が弾正台です。弾正台は行政のやり方を監視しております。

ちょっとでも不正が判明すれば、一刀両断有無を言わせず切り捨てます。

歴史上、弾正台が活躍したことが一回あります。それが、戦国大名織田弾正忠信長が駿河今川義元桶狭間の戦いで打ち取った戦いです。

それを音声で聞いてもらいます。雑音もあり音が小さいので聞きにくいですが、音量を上げてまた、イヤホン等でお聞きくださいませ。


小名木善行 桶狭間の戦いの真相を語る

 信長の兵力は喩ていうならゲンチャリ程度で、それに引き換え今川義元は大型ダンプカー並です。圧倒的に兵力差がありながら信長が義元に闘いを挑んだのは、織田家が弾正の家柄だったからです。足利家の陪臣の陪臣である義元が天下を平定すると言って京に上るのです。普通、戦国時代武将であるなら治めている土地、領民を守る為、「義元さま~ 義元さま~ 私めがご案内申します」とか言って道を譲れば、領土領民は安泰です。それを敢えてしなかったのは、信長が弾正だったからです。あんな氏素性の分からぬ今川義元に天下を取らせる訳にはいかなかったのです。

信長が沢山の戦いの中で一か八かの大勝負に出たのは桶狭間の戦い一回こっきりです。

なるほど!と膝を打ちたくなりました。ねず先生の役者ぶりが超面白いです。Liveでしか味わえない所です。

最後ですが、近未来の会社組織としてホラクラシーという事が言われています。

ネットワーク型経営と言いましょうか、球体経営論です。個々の人がロール(役割)をもって一つの目的の為に動くというのです。以前のようなヒエラルヒー組織ではなく、権限を決めるのはマネージャーでも上司でもなく、ガバナンスミーティングで決めるのです。

ガバナンスミーティングで決めた事が法律で何をしてはいけないが明確なったので、管理する必要がなくなったのです。部署ごとの壁もなくなったし、自由に動けるし、決断が早いのだと思います。これを実践している会社がネミックラムダ社で創業者であられる班目力廣氏です。

最後までお読みくださりありがとうございます。

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