癒しの杜

美しい日本を取り戻す 随神の道 子供達に日本の素晴らしさを伝えます。

第二回倭塾関西報告

昨日、倭塾関西が開催されました。

実況中継風に書かせていただきました。お楽しみください。

日時:9月9日 14:00~16:00

場所:吹田市千里山コミュニティセンター

テーマ:イザナギイザナミと古代の朝鮮半島事情

 

開始直前の模様です。

神谷さんの挨拶から始まりました。

愈々始まりです。

時事の話題から、最近のブログで投稿した二宮尊徳のお話。歩きながらの読書は現代の歩きスマホにあたるので、今では座っている尊徳の銅像があるそうです。

篤志家である二宮尊徳の言葉の中で推譲(すいじょう)の説明があり、お金を貯めこむばかりでは経済は回っていきません。使わないと駄目なのです。一部の人が豊かになるのではなくて、大御宝皆が豊かにならないと個人の豊かさもないのです。

それが、我が國が目指してきた道なのです。経済は当に経世済民なのです。

直近の災害のお話。颱風、地震。日本列島は連日の災害にあっています。

災害特に地震なんて完全な予報はまだ確立されていなくて、日本全国どこでも地震は起きるのです。

大阪、東京を例に挙げて、水害の模様を説明しています。ちょっと昔は土方、人夫の余剰人がいたからこそ、復旧が早かったのです。彼らは宵越しの金は持たない粋な人達なので、飯場が出来るとその周辺に飲み屋街ができ、風俗のお店が立ち並びそこで働く女の人達が衣服や装飾品を買いと言う風に街が戻ってきていました。

今では、公平さを保つためと言い競争入札で談合は悪だという事で、建設関係の会社は余剰人を抱える余裕がなくなったため復旧が速度が遅いです。

また、災害復旧為に働いている自衛隊員の活躍を報道しないマスメディアは問題です。

今のマスメディア銭形平次に出て来る八五郎と一緒で、『たいへんだ たいへんだ』と騒ぐだけで自分では何にもしなくて、お笑いとグルメに明け暮れています。今のテレビ番組と同じです。

 

愈々、本日のテーマに入ります。伊邪那岐伊邪那美命の天のぬぼこをコオロコオロと掻きまわしその滴がしたたり落ちて、地球が出来たというお話です。

アイデンティティー(自分とは何者か)の基礎に当たるものが日本人であるなら神語り(かむかたり)であり、古事記日本書紀に書かれていることなのです。

神話を学校教育で教えない、失った國は100年以内に滅ぶと言われています。(アーノルド・トインビー博士の言葉)我が國残された時間があと30年を切りました。

責任と権力は一体です。外国の支配者は無責任権力者なので、好き勝手放題しますが、我が國の統治は、政治権力の上に天皇と言う国家最高の権威を置いているため、ウシハクの上位のシラス統治がなされておるから國民が奴隷にならなくて済んでおります。

究極の民主主義あると思っております。

それで、話を戻して伊邪那岐伊邪那美命が國生みをした目的は何かと言うと、日本書紀に明確に書かれていて、それが『豈國無歟(あにくになけむや)』なのです。

 

話は進みます。火の神と伊邪那美命の死です。火之迦具土神の意味するところは、生きたまま、肉体を焼かれるのだから苦しいことこの上ありません。このとき、多具理から生まれたのが金山毘古神金山毘売神なのです。金物の加工には火が必要なのです。

このことは、何を意味するのか言うと伊邪那美命が死の苦しみの中から生んだ子は、大小さまざまな土器であり、それはいずれも火を使って加工されるもので、人はその加工された金物や土器を用いることによって豊かさを授かることが出来るのです。

 

さて、時間が無くなってきたので、スピードアップです。伊邪那岐命は妻を愛するがゆえに まだお前と國生みは終わっていない。だから一緒に帰ってきておくれと話しかけるのだけれど、妻の伊邪那美命は『黄泉戸喫(よもつへぐい)』と言って死者の國の食べ物を食べたから、黄泉神と相談しなければいけない。その間決して自分の姿を見てはなりません。と言って奥へ引っ込みますが、「見るな」と言われると見たくなるのが男の性(さが)です。

八つの雷神…雷はいかずちと読みます。いかずちは「厳つ霊」で魔物の事です。

 

伊邪那岐命がかがり戸を開けて、内側に入るとそこには千五百人の軍団が控えていました。これは、伊邪那美命が腐乱死体状態であって蛆が沢山湧いていた様子を著したものとねず式解釈です。

1500人はどの位の規模かと言うと、下記写真ぐらい。

すこし、補足説明します。

伊邪那岐伊邪那美はおのころ島に降り立つ前は天の川に立つくらいの大きさも形もない神様です。ところが、成り成りて の時は、はっきりと肉体を持っています。

そして、國生みは、子孫が増えて各地に散らばっていった様子をあらわしたものです。

神生みはその子孫たちの繁栄の様子を表し、何百年、何千年という歳月を要しているのです。ここでお亡くなりになった伊邪那美は初代伊邪那美神から数えて何十代、何百代の伊邪那美であった可能性が高いとみるべきだとねず先生は仰っています。

時間的流れはこういう事です。

 

 

 伊邪那岐が戸の内側を見た時、辱めを受けたと伊邪那美は言っています。

これはどういうことかと言いますと、伊邪那岐が見たものが戦支度の軍団であったとするなら伊邪那岐は他国の者ゆえスパイに来たと思われます。もう伊邪那美は黄泉戸喫して、黄泉の國の人になっているとするならば、伊邪那美にとっては黄泉の国における名誉が傷つけらたことであって、まさに辱めを受けたことになるのです。

怒った伊邪那美は予母都志許女を遣わして伊邪那岐を追は̪令めき とあります。

予母都志許女を黄泉の國の醜女と訳されることが多いですが、注釈に此六字以音とあることから、漢字自体に意味はなくて別な何かを伝えたかったと解釈すべきで、伊邪那岐が食べ物を投げると、この女性たちは食べ物に飛びついたと描かれています。

武装した集団が村の食べ物を奪い、働き手の男性を強制徴用すれば、村に残された子女は飢えてガリガリ痩せ細り、まるで餓鬼が幽鬼のようになります。(それが、下の写真)

 

今度は必死に逃げる伊邪那岐を黄泉軍が追いかけてきます。

黄泉比良坂の坂の本までたどり着いた時、桃の子を三個とって黄泉軍を待って撃つと黄泉軍はことごとく逃げって行ったとあります。

これは、桃の木がある村に逃げ込み、その村人たちの協力を得て軍勢を迎え撃ったという事ではないでしょうか。

だから、桃子たちに意富加牟豆美命(おほかむつみのみこと)という名を与えています。意富加牟豆美命という勇気を讃える名を挙げているのです。おほし という意味は神谷さんみたいな人を指しているのかもしれません。

さて、愈々大詰めです。黄泉の國からお帰りなった伊邪那岐は、その穢れを払うために筑紫の日向の橘小門の阿波岐原で祓い、禊を行いました。

ここで、伊邪那岐の大神は「私はものすごく醜くて醜い穢國に在った」と述べています。原文では「伊那志許米志許米岐」と書かれており、醜、醜き と二度繰り返し強調しています。

穢の字の説明、さんずいまでつけて濊という字をあてて朝鮮半島を濊國と古代Chinaは蔑んで呼んでいました。如何に汚い國であったが分かるものです。

古事記が書かれたのが今から1300年前のこと、やっていることは今も変わらないです。

古事記を読んでいれば、拉致被害者も出さずに済んでいたかもしれません。

(これは僕の感想です。)

今もこれからも日本の国是として伝えていかなければいけない事です。

おしまい!

長文読んで頂きありがとうございます。

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