前回からの続きです。
日本書紀の言う、豈國とはいかなる國の事を言っているのでしょうか?
創生の神々を見ると、國常立尊(くにのとこたちのみこと)國狭槌尊(くにのさつちのみこと)豊斟渟命(とよくむぬのみこと)とあります。
これらの神々のお名前から、日本は稲作を中心に生きる糧として『よろこびあふれる楽しい國を築くにはどうしたら良いか?』 という事を模索してきたのです。
毎日が楽しくて、楽しくて、しょうがなくて、何のストレスもない人生を送ってきた人間はそれが『あたりまえ』と錯覚してしまいます。
そうすると、そのような人は、他人の痛みを全く理解できない傲慢な人になってしまいます。
どんな人でも、人生、山あり、谷あり があります。
色んな困難や苦しさが襲ってきます。その困難や苦しさを超えて、一つの壁を破った所に本当の意味のよろこびもあるし、感動もあるし、幸福感を得られるものだと思います。
ですから、日本書紀に登場する尊たちは苦労したり、取り返しのつかない失敗をしたりしながらも、前向きに生きてきたのです。
そのことを我々のご先祖様は、神語として今を生きる私たちに伝えてこられたのです。
日本は、一部の人達のよろこびあふれる楽しい國であってはならないのです。
日本人ひとりひとりがよろこびと感動と幸せを感じられる國にしなければ、いけないのです。
その為に書かれたのが、日本書紀であり、このことを幼い頃から教え、躾けていかねば日本人の大人になれないからです。
これが分かっている大人は「世の為、人の為に」一生懸命に働くようになるのです。
そうしないと、日本の未来は亡国の一途をたどり、日本を取り戻すことなどほど遠いことになってしまいます。
参考文献
小名木善行著 「誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本」青林堂